秦の兵馬俑の専門家で兵馬俑博物館の袁仲名誉館長は19日、兵馬俑の中で少年兵士の俑が数体、確認されたことを明らかにした。
現在までに出土した兵馬俑は1000体以上に上る。袁氏は「発掘された兵馬俑の中に、ひげはあるが顔つきが若々しく、見た目にあどけない子供らしい兵士の俑がある。そして中にはひげが全くない俑も一体ある。ひげは大人の男性を象徴するもので、なぜこの俑だけにひげがないのか原因はまだよくわかっていない」と話し、これらの少年兵士の俑は非常に珍しく、その数は10体にも満たないという。
こうした少年兵士の俑は数が少なく分散しているが、歴史的に少年の兵士だけで編成された軍隊はあったのだろうか。
中国人民大学の王子今教授は、秦の昭襄王が趙国を侵攻した「長平の戦」では、15歳の少年も徴兵の範囲に入れられ、明代の董説の著書「七国考」の「秦兵制」ではこれを「小子軍」と呼んでいるが、実際のところ「小子軍」は特殊な時期の兵役の形式であり、常備軍ではなかったと考えている。
「小子軍」のその後の変遷について中国秦漢史学会の張銘洽秘書長はこう話す。「漢代の兵学思想は秦代を受け継いだものであり、漢の武帝の頃は皇帝の安全を守る禁衛軍である『羽林軍』を強化し、国は公のために死ぬ『羽林軍』の子供たちを育てて「羽林孤児」軍を編成した。これは『小子軍』から発展したものといえるだろう」
「チャイナネット」 2009年10月21日