中国人と日本人のホームシック観

japanese.china.org.cn  |  2007-11-23

中国人と日本人のホームシック観。

タグ:中国人 日本人 中日両国 中日文化・スポーツ交流年 中日両国 日中文化・スポーツ交流年ホームシック観

発信時間:2007-11-23 11:38:50 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

ホームシックについて、はじめてまじめに考えるようになったのは18歳のときだった。つまり、家族と離れて、天津で一人暮らしを始めた頃のことだった。毎日寝るときに、目を閉じると、「いつアモイへ帰れるのかなぁ」とか、「早く両親に会いたいなぁ」とか、知らず知らずのうちにそう思うようになった。

そして、よく人々に「ホームシックにかかったのでは?」と聞かれる。私はいつも「そうよ、家に帰りたくなったのだ」と答えるのだった。

でも、日本人の村上先生はよく中国の人たちに「ホームシックにかかったんだって?」と聞かれるので、違和感を覚えたそうである。中国に来た後、先生はいつもその質問への返事に困っているようだった。当初は、「どうしてそういうことを聞くのだろうか」、「もう大人ですよ」、「どうしてホームシックなんかにかかる」といろいろな納得しかねるないことがあったという。

また、私の何人かの日本人の友達は中国でなが年暮らしていたいと言っていた。中国人にとって、これはちょっと不思議なことだ。

ホームシック観というのは感情的なので、やはり一言で断定できるものではない。だが、両国のホームシック観の違いはある。どうして中国人と日本人のホームシック観にそんな違いがあるかとよく考えて見ると、「あ、そうかもしれない」と何かわかるようになった。

まず、中日両国の家庭の構造が違うことだ。

日本の「家」は生まれた時の状況による自然に構成された「血縁集団」ではなく、人為的に構成された「模擬血縁集団」の「家」という制度のかたまりだと思う。それは中国のような「血縁の連合体」である「家」とは違っている。日本の「家」は相続制度や養子制度などがある。

中日両国の考え方が違っていることに気づいたのである。

中国では、家族とのつながりは大事なことである。大学生の私たちはほとんど二週間おきに家へ電話をかけている。結婚した後も、よく実家へ帰って、両親と一家団らんを楽しんでいる。そうしなかったら、「情のない人」、「親不孝もの」と言われる恐れさえある。日本ではそうではなさそうだ。成人後は、自立することは当然のことのように感じられる。よく実家へ帰るなら、「まだ親に甘えている」と言われるらしい。

また、中国では、「落葉帰根」(落葉、根もとに帰る)という言葉がある。つまり、お年寄りのほとんどは、いずれは生まれ故郷に帰って落ち着いて暮らしたい、という気持ちを持っている。これが典型的な中国人のホームシック観なのだ。

こうしてよく考えてみれば、中日両国のホームシック観は確かに同じではないのだ。

日本人はホームシック観が淡薄か、中国人はホームシック意識が濃厚かについては、「イエス」とも「ノー」とも答えられない。ただそれぞれよい面もあり、よくないような面もある。ところが、中国人としての私は相変わらず中国のホームシック観を持ちつづけている。

親というのは子供を生んで、苦労して育て、子供が立派な人間になるのを望むものだ。やっと一人前になったときに、親も年を取っている。子供と離れて住む年寄りの彼らは寂しがって、「自分の子供、孫が身の回りにいてくれればいいのになぁ」と思っているに違いない。しかし、子としての私たちはいつも「親の心子知らず」ということになりかねない。

親のこといつも思っていればよいではないか。暇なときには、よく実家へ帰って、両親を大事にしたり、忙しい時も、電話一本ぐらいをかけて、親に仕事の悩みや生活の楽しみなど世間話をするのもいいではないか。また休暇のときには、親をつれてどこかへ出かけて、写真でもとって、生活の楽しみを味ってもいいではないか。

親思いのホームシック観を持って、「親孝行したい時には親は無し」という悲しく残念なことにならないようにした方がいいのではないだろうか。

(天津商業大学日本語科の郭鷺超さんの投稿より)

「チャイナネット」2007年11月23日

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