ずいぶんと遠い昔、はるか遠い北方から黄土が風に乗って西北高原まで運ばれ、一日また一日と、そして一年また一年と繰り返されるなか、陝西省北部の地にとてつもなく広く、また土層の厚い黄土地帯が形成されていった。窯洞がこの土地に出現したのは、人が住むようになってすぐのことだ。窯洞はまさに黄帝の子孫が繁栄し、生活し、燦爛と輝く文化を創造したところである。
黄河の中流に位置し、黄土高原の丘陵にある延安地区では、町あるいは村のどこであっても、今もなおほとんどの人が窯洞で日々の生活を送っている。最も原始的な窯洞を本当に理解したいと思うなら、そこに数日でも暮らしてみることだろう。
人間の住まいはその土地の地形や風土、気候に適するように造られてきたが、黄土高原の窯洞はまさにその典型だ。断崖に穿たれた洞窟はまさに天然の地形そのもの。冬暖かく、夏涼しく、生活に非常に適している。新石器時代、黄河中流の氏族は黄土層を壁にした土穴で部落生活を営んでいた。木の枠や草を混ぜた泥で造った簡素な住まいで、次第に集落が形成されていった。
窯洞の形態は多種多様である。町では石やレンガ製が多いが、農村では多くが土洞あるいは石材を組み合わせた洞だ。陝西省北部で最も典型的なのが、山を利用した窯洞。天然の土壁を切り開いて造ったもので、普通、洞の幾つかは互いにつながっていて、また上下に幾層も並ぶ窯洞もある。泥や土が落ちるのを防ぐために洞内にレンガや石を敷き詰めたり、崖面を保護するために洞外にレンガ壁を設けたりしている。
窯洞で最も手の凝った、最も美しい部分は恐らく窓だろう。アーチ型の入り口には木の格子が様々な秀麗な文様を織り成している。黄土高原という色彩の単調な世界を飾ろうと、住む人々が窓の形に合わせて貼っているのが切り紙だ。窓は唯一の光源。窓の外に貼られた切り紙は外から見ると色鮮やかだが、なかで見ると明るく落ち着いた雰囲気を醸し出している。光と色がうまくマッチした芸術の美、とでも言えるだろう。
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