僕の個人的な思い出なのですが、10代でビジネスを始めたときに、別の会社の社長さんから「中川くん、そのフィージビリティーについて詳しく調べておいてよ」といわれたのは、非常に印象にのこっています。高校でたてで、英語も今ほどは触れていなかった当時の僕としては「ふぃーじびりてぃ???って何???」という感じでした。もちろん、その場での回答は冷や汗を隠しながら「はい、調べておきます。」でしたが、家にもどってすぐに「ふぃーじびりてぃー」という「言葉」について調べたのはいうまでもありません(笑)。オトナ語はこうしたプレッシャーを裏の意図として伴っているわけですね。いまとなっては良い思い出です。ところでそんなこんなで、ほろ苦い記憶を思い出しているうちに、このフィージビリティーというものについては、より詳しく日本語との関わりの中で、その本質をみたくなったので、オトナ語よりもさらに一歩進んで考察してみましたので、ご興味ある方は、私の個人サイトのブログエントリーを参照してみてください。(http://kozi.jp/blog/?eid=139)。図説をしていますが、すこし長くなってしまい、難しいので、興味があれば程度で!
さて、中国語では、カタカナ外来語がないわけですから、この日本語でいうところのオトナ語にあたるものは、存在していませんね。中国語には、音から訳したものと、意味から訳したもので、外来語は輸入されていますが、ビジネス用語はしっかりと(どなたかが検討されて)意訳されているものがほとんどな気がします。前述のコーポレート・ガバナンスも「corporate governance」の音訳は使われずに「公司治理」と確実に訳されますよね。確かにこれは、日本語の外来語と違って、「言語輸入の過程でもともとの言語の原義と異なって意味を限定してしまう」というデメリット(あるべきオトナ語が発生できない)もあるのですが、日本で氾濫してしまっている本来必要の無い「ダメオトナ語化のインフレ」をふせいでくれるというメリットがあるでしょう。ほとんどのその言語(ここでは中国語)を使う市民が、その言葉をきけば意味がわかる、というしごく当然なことが、当然であり続けるような気がします。
こうしてある意味において、中国語が日本語に比べれば、自らの言語のアイデンティティーに執着するというのは、日本人のわれわれからみれば、面白おかしく、一方でむしろ「体外迎合性」のないタフさともいえる、学ぶべき良さも感じます。
日本人以外の外国人のみなさんを悩ませる日本語の外来語には、「原義を崩さない(あるべきオトナ語)」というメリットもありながら、一方で、「ダメオトナ語化のインフレ」を引き起こしてしまうというデメリットをかかえてしまうということですね。
中国語はそれら(オトナ語の功罪)がないわけですが、はたして、米国初のビジネスプラットフォームの輸入に対して、日本語方式、中国語方式は、どちらの方式が、「ひとつの組織体が、グローバルかつサステーナブルなビジネスデベロップメントとそれに対応するソリューションが極めてコンプレックスにマルチナショナルファームによって提供されるニューエイジワールドエコノミーで、より世界の中でもナショナルボーダーにとらわれない独自のアイデンティティーを保有し、コンペティティブで効率性の高いオーガニックな組織ネットワークを形成しうるか」ということでしょうか(笑)。ここまでくると、もはやジョークですね・・・!!
(中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員)
(中国網日本語版「チャイナネット」) 2010年3月24日