ですから、もし国際的(超国家、超言語、超宗教のような)な親密な男女間の交流を考えると、「外見」と「内面」という伝統的な表現では、内面を規定するその前の要素ならびに、その個人が属する社会的側面を考慮していないような気がしますから、「外見」+「内面・思考」+「現社会関係」+「文化・歴史」をもって、「身体特性」+「属性」の「価値交換ならびに価値交換による価値結合」を「親密な異性交流」と規定しておきましょう。
どうして、「内面・思考」「現社会関係」「文化・歴史」の各要素がひとくくりに「属性」要素とされるべきとしているのかというと、例えば、生活習慣や言語などの文化はその個人の内面・思考を大きく規定する要因となります。一方で、個人の内面・思考によって、その個人が社会関係、社会的立場を確立しますし、長期的にみれば、それが歴史を構成して行きます。ですから、「内面・思考」「現社会関係」「文化・歴史」の各要素はすべて高い相関性を相互にもっていると考えられるからです(もちろん、経済発展状況による栄養状態や、医療技術発展状況による美容知識などがありますから、「身体特性」と「経済」を完全に切り離すことは難しいですが、それは特殊ケースということにしておきましょう。)。
こうして導出された異性間に「親近感を感じる要素」たる2つの主たる要素としての「身体特性」と「属性」というのは、それぞれの方が、ウェイト(重み付け)が異なりますよね、ある人にとっては、「外見」なんて全く気にしない、という方もいれば、俗に言う「面食い」、「外見」重視の人もいますね、さらに、相手の経済力という「属性」を重視するひともいると思います。性格だけあっていればよいという「属性」ほぼ100%主義の方もいるでしょう。とくに、男性と女性とでは、そのウェイトが全体分布として異なりそうな気もしますが、いずれにしても、男女の「価値交換また価値結合」に必要とされる「身体特性」と「属性」の市場調整の、ひとつの「解」が「親密な異性交流」という結果に至るというように、今回は仮定しています。
もちろん、手に入る「財(異性という個人)」は、その個人の生活環境によって数も異なるでしょうし、質も異なるでしょうし、「価格(異性価値)」の判断基準も個人で多様ですから、市場システムがなりたたないことは明白ですが、それでもやはり、ある一定の統一的評価基準によって価値交換がなされます。これがMatch theoryというコンセプトに近いもので、同様の「社会属性」に近いもの同士が「親密な異性交流」の関係にいたるという理論と合致することになります(例:同じような学歴の人同士が親密な異性交流に発展しやすい)。
また、この価値交換の後に異性間交流(アライアンスパートナー)が発生するわけですが、この継続性コストの問題のために(ベネフィットとしては価値交換と価値結合による範囲の経済性:economy of scopeのようなもの)、コストベネフィットの観点から、コストがベネフィットを上回ってしまいますから、たとえ、「身体特性」も「属性」も交換に値する要件を満たし、互いに価値結合がおこる状況であったとしても、継続性コストが高い場合には、結局価値交換が成立しませんね。
例:ある一時点において、性格も家族も生活スタイルも容姿も気に入った相手が、仕事の関係上スペイン・バルセロナにいて、自分が言語的障壁のためロシア・モスクワにいたら、仕事と言語がコストとなり、継続性コストを押し上げてしまいますから、別の近くにいる異性との交流を選択する可能性が高いですよね。
(次回へ続く)
(中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年4月6日