Q、「次の国家主導者は親中派か嫌中派か?」
中川の考え:これも中国の友人から大変多く質問されます。いつも僕が思うのは、この政治家個人特性に関する2つの区分はほとんど意味のないことだろうということです。もちろん、一部の日本国民の強いナショナリズムを反映したような「超愛國的」な嫌中派の政治家の方も少数いらっしゃいますが、さすがに首相になるような「格」を有した方のなかでは、我が国からすれば世界の多くの国の中で単に中国という一国に対して個人的な感情だけを総理としての仕事に適用するような方は誕生しにくいでしょう。
中国という漠然とした「概念(文化・歴史・現政治体制等々をすべて含む」について、個人的主観としては持っているかもしれませんが、仕事に対してそんな個人的感情だけに流されるような人物はロジカルな仕事ができませんので、総理という地位に推挙されないだけの我が国のシステムではあると思います(政権を担当する政党は、たとえ政策がボロボロでも最低限それなりの良識があります、というよりも、仕事ができない人物を党首としておいておけません。)。
もし中国に対してどのような言動をとっていく人物か、ということについて推察する必要があるのであれば、親中派か嫌中派か、ということよりも、独断型か調整型かということで判断するとよいかもしれません。
独断型の首相である場合には、外交全般を管轄する外務省や関係省庁の調整だけでなく、党内調整もあまりせずに、個人的な主観をもとに突如として行動するかもしれません、そしてこの場合、いわゆる、嫌中的な言動がめだつようになるかもしれません。(親中的言動というのは、平和の継続でありますので、そもそも目立ちません)。一方で、調整型の首相である場合には、何かしらの言動の「前」に、かならず綿密に各所への調整をいたしますので、中国に対して友好的でない政策に舵取りしたとしても、目立たないように密かにこなしていくと思います。
もちろん、この独断型・調整型、という区分の上で、中国に対する個人的主観・感情、総合的な業務遂行能力の高低や、パフォーマンス重視かどうか、といった要素などが加わってきますので、首相の結果としての中国への言動は推測しづらいものでありますが、それでも、親中派か嫌中派という分類での議論よりも、独断型か調整型かという見方で、首相をチェックしたほうが、中国に対する表面的コミットメントの差異ははっきりとしてくると思います。
ちなみに、野田首相は調整型であったと思いますが、民主党の総合的な業務遂行能力があまりにも低く、前任の二人の首相の負の遺産が大きすぎましたので、先日の釣魚島(日本名:尖閣諸島)に関する問題を大きくしてしまったかと思います。石原慎太郎前東京都知事は独断型でしょう。