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中日の違い、幼稚園から始まる |
発信時間: 2009-02-12 | チャイナネット |
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これとは対照的に、日本で子どもを幼稚園に通わせている友人によると、 日本の幼稚園の先生は子どもの面倒をとてもよく見てくれるという。友人は北京に戻るときに、先生に茶葉を贈ろうとした。しかし先生は、子どもの面倒を見るのは自分の仕事であり、気持ちだけで十分だと言って、決して受け取ろうとはしなかった。その決然とした態度に、友人はこの上なく感動したという。
贈り物をしなければきちんとした待遇を受けることができない。これは子どもの成長にはっきりとしたしるしを残すことになる。もしかすると子どもはこのことを覚えていて、その後の人生において、「賄賂」によって障害を取り除いていくことになるかもしれない。
一方、日本では、先生の職業倫理が子どもにとってすばらしい手本となることだろう。手本とはメディアが報道するものでなく、身近な人の些細な行いが積み重なってできるものなのだ。「話の奥深い人が師となり、品行方正な人が手本となる」や「上に立つ人が正しくなければ下の者も悪くなる」といった言葉も、同じような道理を説いている。昼間は子どもに正しい気風を重んじることを教えながら、夜になると保護者からの贈り物を受け取るような言動不一致の先生では、言動一致の子どもを育てることはできない。
私はいつも、国と国の違いの根本は人にあり、人の違いの根本は教育にあると考えている。幼児教育の段階で生まれたごく小さな差別は、未来において限りなく大きくなる。懐中電灯の光と同じで、遠くを照らせば照らすほど、光は大きくなり、影響を及ぼす面も広くなる。私たちは教育改革が一向に進まないことを体制のせいにしがちであるが、その根本的な原因はやはり人にあるのである。 「チャイナネット」2009年2月12日 |
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