2月3日は、日本では「節分」という日です。2月4日は「立春」で、新しい春(年)を迎える日ですが、その前日なので、大晦日にあたります。2月3日には、新しい年に福が来て、悪いことが起きないように祈る(魔除け、厄除け)様々な習慣が日本で今でも広く行われています。
写真1:豆まきのための豆
まず日本で2月3日に一番広まっている習慣は「豆まき」です。神社・仏閣、そして一般家庭で、豆をまいて、「鬼は外、福は内」と大きな声で叫びます。私も子供の頃からこの「豆まき」を家でやっていました。スーパーマーケットなどでは、豆まきのための豆(大豆など)をこの時期売り出しています。私もそれを買ってきました(写真1)。豆をまいた後、年の数だけ豆を食べます。そうすると、今年一年、健康で、悪いことがなく、福が来るということです。「鬼は外」と叫びますが、「鬼」という言葉は、日本語でも中国語でも、死者(の魂)一般をさす意味もあります。(日本語で「鬼籍に入る」というのは「死ぬ」ことを意味し、中立的な表現です。)他方、「鬼」には、邪悪なものという意味もあります。「鬼は外」という場合は、この意味で使っており、「邪悪なもの(病気、不幸など)は外に出ろ」という意味です。但し、例外的に「鬼」を「神の使い」としている神社・仏閣もあるそうで、その場合、節分の豆まきでも「鬼は外」とは言わないそうです。(その他、日本語で「あの人は仕事の鬼だ」と言えば、仕事に非常に熱心という意味で使われます。)
写真2:豆まきが始まる前に列をつくって待つ人たち
2月3日、日本全国の神社・仏閣で豆まきが行われました。写真を見てください。力士(相撲取り)も参加しています。豆をまく人たちが、豆まきが始まる前に列をつくって待っています(写真2)。背が高い力士は、琴欧州というブルガリア出身の人気のある力士です。
写真3:「鬼」
神社の舞台の上では、「鬼」のお面をかぶった人も出てきました(写真3)。この鬼に対して、豆をまいて、鬼を退散させます。また、集まった人たちがまかれた豆を受け取ろうとしています。豆は、小さなビニール袋に入っているものをまいたり、あるいは豆をそのまままいたりしていました(写真4,5)。
写真4:豆まき
写真5:豆まき
中国でも年が替わるのに際して、魔除け、厄除けをする様々な習慣があります。たとえば天津では「大戸無憂、小戸無憂、清平世界、百姓無愁」と声をそろえて叫ぶ習慣が清代にあったそうです。爆竹は中国全土で今でも鳴らされます。これらも福が来るように、また魔除け、厄除けの意味があるということです(『中国民俗史』人民出版社)。清代末には、立春の際に、春牛(牛の人形を人が担いで歩く)が通った後に豆をまいて、病気にならないように祈った習慣が中国全土で流行していたそうです(「豆」と「痘(=天然痘)」が「ドウ」で同じ発音なので、豆をまいたとの説もあるそうです)(『中国民俗通史』山東教育出版社)。古くさかのぼって古代中国では大晦日に、鬼の面をかぶった人を、桃の木で作った弓矢で射って追い払う「追儺(ついな)」という行事があり、これが奈良時代の日本に伝わり、平安時代には宮中で盛んに行われたそうです。また、豆まきは日本において室町時代から定着し、江戸時代には、一般庶民の間に広がったそうです(飯倉晴武氏編著『日本人のしきたり』青春新書)。
写真6:「恵方巻」(えほうまき)
日本では、2月3日には「恵方巻」(えほうまき)という海苔巻き(太巻き)を食べます(写真6)。これは日本独自の習慣のようです。「恵方」というのは、その年の神様がいる方角で、その方角に向かって願い事をしながら、これを食べると、良いことが起きるということです。今年の「恵方」(良い方角)は、東北東でした。この習慣は、もとは関西地方に起源があるということですが、私は関東出身なので、最近までこの習慣を知りませんでした。近年は、スーパーマーケット、コンビニエンス・ストアが「恵方巻」の販売に力を入れており、今年も2月3日の夜遅くまで店頭で販売されていました。
門に、ひいらぎの小枝、焼いた鰯(いわし)の頭を挿す習慣もあります。これは邪悪な鬼や病魔を追い払う魔よけの意味があります。
以上のように、節分の習慣は、中国でも似たような習慣がかってあり、中国では廃れたものも、多少異なる形で日本で今日まで伝えられ、あるいは日本で独自の展開を遂げたと言えるようです。
(井出敬二 前在中国日本大使館広報文化センター所長)
「チャイナネット」2009年2月4日