第44回 日本人は「日本人論」が好き? 中国人は?

japanese.china.org.cn  |  2009-09-27

第44回 日本人は「日本人論」が好き? 中国人は?。

タグ:中日両国 日本人は「日本人論」が好き? 中国人は?,井出敬二・前在中国日本大使館広報文化センター所長

発信時間:2009-09-27 16:05:15 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本人は、自国民(つまり日本人)の国民性について論じることを多くしてきたと言えるようです。日本においては多くの「日本人論」の本が出版されています。たとえば以下の本はとても有名なものです。

●中根千枝著『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』講談社現代新書、1967年

●イザヤ・ベンダサン著(山本七平訳)『日本人とユダヤ人』文藝春秋、1970年(著者はユダヤ人のような名前ですが、実際は山本七平氏が書いたものです。)

●土居健朗著『「甘え」の構造』弘文堂、1973年

他にも沢山の本があり、戦後、千点近い日本人論の本が出版されたとも言われています。

文化人類学者で前文化庁長官の青木保氏は『「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー』(中央公論社、1990年)という本を出版されています。この本は、戦後から1990年までの約40年の間に出版された日本人論について、四つの時代にわけてその変遷を分析されています。

● 1945年~54年:「否定的特殊性の認識」:主な論者は川島武宜、桑原武夫

● 55年~63年:「歴史的相対性の認識」:加藤周一、梅棹忠夫

● 64年~83年:「肯定的特殊性の認識」中根千枝、作田啓一

● 84年以後「特殊性から普遍性へ」:尾高邦雄、山崎正和

青木氏は日本における日本人論は時代とともに変遷があったこと、そしてその背景として当時の国際社会において日本が置かれた環境にも留意する必要があるということを示されているわけです。

日本に比べると、中国においてはあまり「中国人論」の本が出版されていないような印象があります。魯迅や林語堂は中国人についていろいろな興味深い考察を残しており(注1)、それは北京の本屋でも買うことができます。また、中国文化や中国の習慣についての本はもちろん多数中国で出版されています。しかし、中国人の国民性がどのようなものか、ということを考察した本(特に戦後に出版された本)は少ないように思います(私もよく知らないので、このブログの読者の皆さんから、中国人論の本をご教示いただければありがたいです)。日本は比較的均質的な社会であるのに対して、中国は多様な社会であり、そのため書きにくいという面はあるのかもしれません。他方、香港、台湾の出版社からは中国人論の本が比較的多く出版されているようにも見受けられます。

「日本人論」とか「中国人論」を議論する際に注意しないといけないのは、それぞれ、一概に国民性というのを語るのは難しく、学問的・科学的な議論というよりも、ともすればジャーナリスティックで、印象論的で非科学的な議論になりがちということがあります。国民性は、時代や場所によっても大きく変化してきています。日本人は集団主義的だとよくいわれますが、それもこの10年、20年で大きく変化しています。ステレオタイプ、紋切り型で国民性を論じ、「日本人はこういう人たちだ」「中国人はこういう人たちだ」と断定することには大きな危険があります。

以上のことに注意しながらも、日本人が「日本人論」を論じることと、中国人が「中国人論」を論じることとの間には違いがあるようだ、というのが私の観察(問題意識)です。そして関連する問題意識を述べている中国人の学者がいるので、ご紹介します。孫隆基氏(1945年重慶生まれ;上海、香港、台湾、アメリカ、カナダで研究・指導されている学者)が書いた本から、関連する部分を引用します(『中国文化的深層結構』2005年10月、花千樹出版)。(日本語訳は要旨。)

「日本人が自己の分析をすることはすでに長く行われており、この点で日本人は一種のマニアである。1980年代に『日本人論』がはやったこともその例である。中国人が中国人自身の性格などを分析することは非常に少ない・・・。中国人が決して社会批判と文化批判をしないということではない。しかし、昔から現行の状態の批判は全て『道徳を整える』という態度、また『まちがいを正す』、民衆に対して『教育を強める』、そして『昔はよくて今はよくない』という態度になりがちである。『五四』時代は例外であろう。」(注2)

 

コメントはこちらへ。


孫隆基氏は、日本人が「日本人論」を盛んに行う理由は、自分が特異ではないか、自分が不正常ではないか、という関心や、「不安全感」と「うぬぼれ(自大感)」の間にあって、外から見られることに過度に敏感になっているからだ、と述べています(注3)。

これらの説明があたっているかどうかは必ずしもよく分かりませんし、それこそ印象論で非科学的に論じている危険がないか注意する必要があります。それでも、たしかに五四時代が例外だったという指摘は考えさせられる指摘だと思います。また、戦後日本がめざましい経済成長をし(1953年~73年)、またバブル経済の時期(1980年代後半)には、欧米諸国との間で経済摩擦(貿易、投資面)もあり、欧米から「日本(人)は異質だ」という批判がありました。そのような欧米からの指摘が「日本人論」を活発にさせた一つの要因だった面はあったかもしれません。日本の対欧米パブリック・ディプロマシーも、「日本異質論」に対応することを主眼に展開されていた時期もありました。最近は、日本は欧米との経済摩擦が少なくなり、「日本異質論」は少なくなってきたように思います。

上記の観点からは、中国のめざましい経済成長や対外投資の著増など中国の存在感が世界の中で顕著に増していく中で、経済その他で摩擦が起き、欧米から見て「中国(人)は異質だ」という批判を引き起こすとすれば、それに対して中国国内からどのような反応がでてくるのか興味があります。一つの反応としては「中国人論」が盛んになっていくかもしれません。もし日本と中国の反応で異なる面があるとすれば、それはなぜなのか、また考察すべき論点になるのだろうと思います。

 

(注1) たとえば、魯迅は「随想録38」の中で「うぬぼれ(自大)」について論じています。(『新青年』5巻5号掲載、1918年10月;『魯迅全集』2005年、人民文学出版社、第1巻pp327-332)。また林語堂「吾国与吾民」(1935年)は日本でも翻訳が出版されています。

(注2)この部分の中国語原文:「日本人対自己的分析由来巳久、而且経成了一種狂。80年代『日本人論』之風靡、只是其一斑。我们很少見到中国人対自身人格形態的分析、・・・。中国人並不是没有社会批判与文化批判。但是、自古以来、対現行状態的批判都是採取『道徳重整』的態度、亦即是『整頓歪風』、対民衆『加強教育』、而其意向总是『古勝於今』『厚古薄今』『以古非今』。『五四』時代或者是一個例外。」)

(注3)この部分の中国語原文:「日本人対自身的高度敏感又是従何而来?・・・日本是恒常地与外界比較的、而且总担心被別人比下去。・・・当前大盛的『日本人論』、有一大部分是在探求自己是否特異、甚至是否不正常。・・・極度的不安全感与自大感之間、必然造成」

(井出敬二・前在中国日本大使館広報文化センター所長)

 

コメントはこちらへ。

 

「チャイナネット」  2009年9月27日

Twitter Facebook を加えれば、チャイナネットと交流することができます。
中国網アプリをダウンロード

日本人フルタイムスタッフ募集     中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで