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中国人作家の日本訪問記日本官僚に見た中国的要素
発信時間: 2009-05-13 | チャイナネット

文=劉方煒

 

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日本外務省の「第三国際情報官」である岡田健一さんはカバンの中から日本語版の『論語』と『新唐詩選』を取り出した。『論語』を読んでいるのは仕事上の必要性からであるが、『新唐詩選』は個人的な趣味だという。

 

岡田さんの随員である村島郁代さんと大友誠さんはどちらも1970年代生まれ。中国留学の経験があり、流暢な中国語を話す。しかも村島さんの発音には明らかな北京なまりがあった。自分の「郁代」という名前について、「郁」の字は父親が『論語』から取ったものであり、妹の「文代」という名前も『論語』に由来していることを話してくれた。

 

「第三国際」の意味

私たちの訪日スケジュールには、外務省の「第三国際情報官」である岡田健一さんの招宴が盛り込まれていた。東京時間の夜7時、私たちは赤坂の小さな料亭でこの「第三国際情報官」と対面した。

 

岡田さんはしゃれた風采の中年男性で、率直かつ冷静、ユーモアに富んだ人物だった。会ってすぐに、自分の祖先の本姓は司馬であるが、貧しかったために岡田家の養子となり、岡田に姓が変わったことを話してくれた。私は彼に、「第三国際」というのは中国語では「コミンテルン」を意味する専門用語であり、1919年3月にレーニンの指導の下で創設された国際共産主義運動の指導組織(本部はモスクワ)のことを指し、当時の中国共産党は「第三国際」の指導の下で活動を行っていたことを説明した。

 

すると岡田さんは「それでは名称を改める必要がありますね」と笑い、私たちに「第三国際情報官」の意味を紹介してくれた。ここでいう「第三国際」とは、外務省の第三の研究室という意味で、主に東アジアの研究を行っているという。岡田さんはこの研究室の「担当」で、中国語に訳せば「第三研究室主任」ということになる。

 

1960年代初頭生まれの岡田さんは東京大学を卒業し、北京大学と米ハーバード大学で研修を積み、英語と中国語に精通している。外務省にはすでに20年余り勤めており、これまで各種の職務を歴任してきた。現職に就任してからは2年足らず。前任は現中国課課長の垂秀夫氏である。

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