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中国人作家の日本訪問記虚構の戦争の記憶
発信時間: 2009-05-26 | チャイナネット

ここで、盧さんが岡本さんの話を遮り「1941年以前の戦争はあてはまらないということか」と尋ねた。

 

岡田さんは「戦争は1937年7月7日の盧溝橋事件、あるいはもっと早い時期、つまり東北での張作霖爆死事件から始まったと言える。だが、現在、日本人はこうした歴史について詳しく教わっておらず、自身の記憶から戦争を振り返っている」と説明した。

 

さらに、盧さんは「この虚構の記憶はどのように形成されたのか」と質問した。

 

岡本さんは次のように答えた。「盧さんの憤りは理解できる。私も同じ気持ちだ。では、私たちと異なる考え方を紹介しよう。彼らの考え方では、20世紀初頭、欧米諸国も中国に進出していたにもかかわらず、日本だけが批判されるのは疑問であり、日本は中国政府と正式に協定を結び中国に居留地を設けたので、日本人住民が攻撃された場合、これらの住民を保護する権利を持っていたとしている。また、満州国は中国と異なる国家であり、満州国が日本に要請したので日本は満州に派兵したと考えている。私はこうした主張を聞き非常に残念に思い深く心に恥じた。教育を通じて彼らの考え方を変えなければならないが、問題は、このような教育を実現できず、戦争中身内を亡くした人に反省を求めても容易に受け入れられない点だ。大多数の日本人はできるだけ早く戦争を忘れたいと思っている。私がこのような状況について率直に話したことを許してほしい」。

 

我々の世代で日中友好を推進できず

盧さんが中国人の日本に対する賠償請求問題に触れると、岡本さんは「私個人としては、日本政府や企業は中国人個人に対し賠償を行うべきだと考えているが、このような主張は日本国内では受け入れられない」と述べた。

 

さらに、盧さんは「小泉元首相の片腕として、小泉さんをどのような人物と見ているか」と質問した。

 

これに対し、岡本さんは次のように答えた。「彼に非常に魅力を感じている。彼は職業を選び間違えた。政治家になるべきではなく、芸術家になるべきだった。靖国神社参拝を決めたのは首相になる前のことで、戦争当時の米軍攻撃作戦に臨む神風特攻隊員の遺書を見て、涙が止まらず参拝を決定したという。彼にはA級戦犯など眼中になく、神風特攻隊の若者たちへの哀悼の意を表したいだけだ。芸術家気質なので他人が考えを強要しても、受け入れることはない。参拝すべきではないと説得したこともあったが、それでも彼は参拝した。私の認識では小泉さんは平和主義者であり、心の中で戦争を批判している。彼はインドネシアで戦争への反省を表明する談話を発表したことがあるほか、日本の首相として初めて盧溝橋抗日戦争記念館を参観した。また、中国に対し謝罪の意思を持っており、中国人は彼の思い理解してくれると考えている」。

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