于文 沈暁寧 賈秋雅 劉玉晨=文 孔子学院本部=写真提供
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桜美林大学孔子学院などによる「第3回全日本青少年中国語カラオケ大会・決勝大会」が上海で開催された |
千年以上前に、日本は多くの留学生を中国に派遣し、中国の言葉と文化を学ばせた。彼らは帰国後、学んできたものを実用に役立てた。今日、日本の多くの大学や一部の小中高校で中国語の課程が開設され、民間の中国語学校の看板が街のあちこちに出ている。
趣味で中国語を勉強する人、仕事上、必要に迫られて学ぶ人……。さらに就職する学生にとっては、中国語ができるということが、面接試験での切り札になってきた。
中国政府は世界に、中国の言葉と文化を発信する孔子学院を設立する方針を打ち出した。2005年に日本に上陸した孔子学院は、わずか4年間で17ヵ所の孔子学院と孔子学堂に発展した。
孔子学院では、何が教えられているのか。他の中国語教育機関とどこがどう違うのだろうか。
「役に立つ」言葉を目指す
『論語』の子路篇にこうある。
「子曰く、詩三百を誦するも、これを授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専り対うること能わざれば、多しと雖も亦奚を以て為さん」
(詩経300篇を暗誦していても、これに政治の要務を任してもうまく果たすことができず、外国に使節として派遣されても、全権をもって談判できないというのでは、まったくしかたがないではないか)(貝塚茂樹訳)
孔子が言いたかったのは、知識を実践の中で用いてこそ学習の目的が達成されるということだろう。孔子学院で中国語を学んでいる人たちも「役に立つ」言葉の習得を目指している。
中国の人の役に立ちたい
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孔子学院の授業を受けている片山ゆきさん(写真・魯忠民) |
毎週金曜日、30歳代の片山ゆきさんは、普通のOLより早く起きる。朝7時半前には、新宿駅に近い工学院大学の孔子学院の早朝クラスに出る。
1時間の授業中、片山さんたちはそれぞれ近況を先生に中国語で話す。その後、みんないっしょに『三字経』をとなえる。『三字経』とは中国で、子どもに字を教えるために使われる代表的テキストで、宋の時代の王応麟が撰したと伝えられる。毎句3字で韻を踏み、人倫など常識的なことを儒教の立場で説いたものだ。
「中国の故事を学ぶことによって、言葉を学ぶだけでなく、中国の伝統文化をもっと理解することができます。それは仕事の面にも役に立ちます」と片山さんは言う。
片山さんの仕事は、中国の社会保障制度や民営保険業務を調査・研究することだ。彼女は、日本の社会保障制度の成り立ちと民営保険市場に関する経験を中国に紹介し、またそれに関する中国の現状を日本に紹介している。毎日、彼女は多くの経済・社会関係の中国語資料や情報に接していて、それは中国語の読解力には厳しい訓練となっている。しかし、一日中、文書ばかりを読んでいるので、中国語を聞いたり、話したりする環境がない。中国語でコミュニケーション能力を鍛えることができないのが彼女の悩みの種だった。
このため工学院大学が主催している「中国語サロン」に参加することにした。そこで孔子学院副学長の張海英教授と知り合いになった。そして工学院大学には孔子学院があり、毎週金曜日の早朝、サラリーマンやOLのために1時間の早朝クラスを特設していることを知った。
「毎週金曜日の朝、私は大慌てで起きて、授業に出かけます。でも、ちっとも苦になりません。さらに多くのことを学べるので、その日は大変充実していると感じ、楽しいです」と言う。
彼女が最初に中国語と接したのは、偶然に映画『芙蓉鎮』を見たときだ。「当時、私は中国のことは何も知りませんでした。でも、映画のストーリーに深く感動しました。映画の中で、逆境にいる主人公が積極的に向上しようとする姿に魅せられました。そこで大学で私は中国文学を学びました。卒業論文は『映画芙蓉鎮と原作との比較』です」と片山さんは中国語との出会いを語る。
卒業後、彼女は中国に2年間留学した。この間の中国人との交流を、忘れることができない。「中国の親友は私にこう言うんですよ。『あなたの中国語は、私と喧嘩する中で鍛え上げられた』ってね」
どのようにして人や物に対する中国人の習慣や考え方を理解し、相手の立場から物事を理解するか、それには言葉だけでなく、心と心の交流が必要なのかも知れない。片山さんは言う。「中国人の中に溶け込むには勇気が必要です。しかし、いったん溶け込んでしまえば、まるで家族のように扱ってくれます」
タクシーで家に帰れるように
慕われる通訳助産師さん
寄稿 孔子学院は友好の架け橋
【孔子学院の概況】
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