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上海出身の6人の女性労働者の寮 |
■心許ない生活
工場閉鎖後、何さんは社長に何度も電話をしたが、つながらなかった。社長との連絡が途絶えたため、6人は実情を中国国内の家族に連絡、一方で四方八方手を尽くして弁護士や大使館に相談した。
「もう時間がないんです。私たちは簡単な日本語しか話せません。住んでいる所も街から遠く離れていて、今は寮で過ごすほかありません。関係窓口に電話を続けています」。何さんはオンライン動画を通じ、涙声で記者に訴えた。
6人によると、寮は市街地から遠い。以前は買い物の際は社長が車で送迎してくれたが、社長との連絡が途絶えた今、6人は基本的な生活必需品さえ買いに行くことができない。
何さんは語る。「今はこれまで実家から送ってもらったビスケットや故郷の味でしのいでいます。時々近所の人からおかずを貰います。白菜や大根が入ったものばかりですが・・・・」。6人が送ってくれた生活ぶりを示す写真を見ると、寮は四方を山に囲まれ、屋内は狭く、古ぼけている。社長との連絡が途絶え、6人は道のりを尋ね、数十キロ離れた労働基準監督署に赴いた。監督署に報告後、6人は寮に戻った。「監督署の人は状況を調査してくれると話してくださいました。でも私たちはもう本当に待てません」。オンライン動画で6人は何度もすすり泣き、涙を流していた。
何さんは21日、同僚5人と共に社長の自宅を訪ねた。応対した社長の娘は、社長は不在だと答えた。給与未払いの件について社長の娘は「よくわからない」と語った。
同日、オンライン動画での取材の際に何さんは疲れ果てた様子だった。「私たち本当に疲れました。日本に来なければ良かった。はじめからわかっていれば、来ることはなかったです」。6人によると、出国前に仲介費用として1人当たり3-4万元を借金したが、未だ清算していない。
工場が閉鎖された当日、何さんが会社側と交わした契約の残り期間はちょうど4カ月となった。訪日労働者として3年、彼女は未だ一度も帰国したことはない。祝日が来る度に、何さんは残りの日数を数えている。何さんは帰国後、家族と一緒に万博を見に行くつもりだ。
「人民網日本語版」2010年3月22日