作家・渡辺淳一氏は80歳に手が届こうとしている今でも、「男女の愛」への執着心と好奇心を失っていない。
この度、渡辺淳一氏の3つの作風の著書群が中国で出版・刊行された。その中には、中国では初出版となる「エ・アロール それがどうしたの」「くれなゐ」「欲情の作法」、また医療関連の2作品も含まれている。この「恋愛文学の巨匠」が織り成す作品のファン達は、この度、心ゆくまで、氏の著書を楽しむことができるだろう。先だって、北京の大手新聞社「新京報」が、渡辺淳一氏にインタビューを行ったので、以下に紹介する。
■ 作家インタビュー
中高年の男女の「純愛」に執着した作品群
新京報:渡辺さんの作品は、中高年の情感や人生の悲哀を深く掘り下げていることで有名ですが、こうした執着心はどこから生まれるものなのでしょうか?
渡辺淳一氏:若い人であれば、お互いが好きなら特に問題もなく一緒になれます。父母や周囲の人々からの祝福を受けながら、シンプルで当たり前に、2人は愛し合うことができるのです。しかし中高年になると、家庭や子ども、そして仕事などの複雑な人間関係が絡み合い、男も女も多くの問題と向き合わなければなりません。純粋な愛をつらぬくには、多くのものを失わなければならない。中高年の愛情とは、そういう意味では、若い人のそれよりも、より純粋な愛だと言っていいでしょう。
「失楽園」には、自らの体験に基づく描写が多く盛り込まれています。小説の中で50歳を過ぎた久木と38歳の凛子の間の激しい性愛は、十数年前、私と生け花アーティストの女性の間に起きた経験を描いたものです。かつて一人の女性を深く愛し、その女性をもっともっと愛したいと思ったとき、死に対する不安のような感覚に突然襲われました。結局、その時は、家庭をかえりみたこと、また自分の愛を極限まで持っていく勇気がなかったため、当時の「命を捧げた2人の究極の愛」を、小説の中で表現することになりました。
新京報:これは日本の中年夫婦の危機なのではないでしょうか?
渡辺淳一氏:日本の中年夫婦にはこのような危機が確かに存在しています。表面上は円満な家庭を装いつつ、内心では愛情が薄れ、倦怠感や葛藤が心を支配するようになっています。そこで、今の日本の夫婦の多くが、円満な家庭を維持した上で、不倫を楽しむようになっています。完訳版を通じて、中国の読者に考える機会を与えることができればと思っています。作品中の男女の性愛描写を通じて、読者自身が「愛とは何か?」を考えていただき、「身体と心が結びつく」とはどのようなものかを感じてもらいたいと思います。
新京報:作品中「愛と死」というテーマは、日本の伝統的な文学作品の傾向を連想させます。男女の心中、という残酷で悲惨なイメージが、美しく高尚なものになっています。
渡辺淳一氏:日本の伝統的文学における「愛と死」は、「不倫の愛」に対する社会全体の厳しい戒律により発生したものです。対する「失楽園」の中の「愛と死」は、純粋に究極の愛を極めたことによるものです。性愛へ傾けば傾くほど、罪悪感は増していく、そうした一種の恐怖感を、「失楽園」を読むことで、味わっていただきたいと思います。
もし性描写への興味だけでこの作品を読んでしまったとしたら、全く異なる観点やレベルからこの作品を感じることになってしまうでしょう。