転機は95年の阪神大地震 松村扶美さん(1)

転機は95年の阪神大地震 松村扶美さん(1)。 大手保険会社に総合職で就職し、順風満帆だった松村さんは、その翌年、中国へ飛ぶ。北京外国語大学で日本語を教えつつ、中国語を学び、向学心からさらに上を目指し、シンガポールで中国人留学生とともに切磋琢磨し合いながらMBAを取得する。そこで生涯の伴侶と出会い、結婚。上海へ移り住んで今年でちょうど10年になる…

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発信時間: 2010-07-27 16:09:46 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

私にとってはこの経験が、「人生で何がしたいんだろうな」と思うきっかけになりました。大学を出て総合職で保険会社に入って東京勤務になって順風満帆でした。バブルだったし、待遇も良かったし、恵まれてはいましたが、心のどこかに空虚感を感じていて、人生の軸みたいなものを求めていたときに地震が起きたんです。目の前にチャンスはあるけど、これが本当に私のしたい仕事なのかなって疑問を持ちました。

いろいろ考え、中国に行ってみたいなと思いました。大学時代に、神戸港から船で福建省に行って中国を旅行したんですが、それがおもしろくて、大陸に引かれていました。中国の人はどうしてこんなにエネルギーがあるんだろうって。それで一時、中国語をちゃんと習おうと思って、働きながら毎朝中国語教室に通っていました。

親はせっかく会社に入って昇格試験も受けて、これから将来有望なのにと悲しかったみたいですが、「1年で帰ってきます」って約束して、会社を辞めました。1年のつもりだったのがもうずっといるんですが・・・。

阪神大震災がきっかけで、日本を飛び出してみてどうでした?

新鮮でしたが、いろんな現実も見えてきました。留学生活だけでは物足りなくて、自分は働いていた経験があったし、自分の同世代の人と交流してみたいなと思って、北京に行って2ヶ月ほどして友達の紹介で北京外国語大学で日本語の先生のアルバイトを始めました。それがきっかけで、いまだに交友がある友達もいます。いろんな生徒さんがいて、中国語を勉強しながら1年間日本語を教えました。

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