ブラジルの華裔(居留国で出生し、その国籍を取得した中国系住民のこと)作家である袁一平は、『啼笑嫁巴西(泣き、笑って、ブラジルに嫁ぐ)』という作品の中で、「銭さん(銭は姓)」という人物を描いている。ある日銭さんが銀行にお金を支払いに行ったところ、ドアを入るとカウンターの前は長蛇の列であった。そこで彼は厚かましくも、列に割り込んで支払いを済ませた。一人の老人男性が真っ先に怒り、銭さんを罵って言った。「この日本人め、ちっともルールを守りやしない、あきれたもんだ!」 銭さんは何の釈明もせず、ただばつが悪そうに苦笑いをして去った。彼は口の中で自分を慰めるようにつぶやいた。「罵られたのはワシじゃない、ワシは日本人なんかじゃない。なんでもない!」
しかし、銭さんは良い行いをすれば、決まっていつもその手柄を中国人のものとした。ある冬の晩、彼は、中国の教会が橋の下に身を寄せる乞食たちに食べ物を配る手助けをした。その貧しい人々はパンやミルクを受け取ると、深々とお辞儀をし感激の涙をこぼした。施しを与えてくれた人の名前がわからないので、ぺこぺことお辞儀をしながら「ありがとう、日本の方。日本人は本当にすばらしいです」と言った。銭さんは即座に正して言った。「ワシらは日本人じゃない、中国人だ。わかったかね?中国人だよ」 銭さんの論理はこうだ。「時間が経てばやがて、ブラジル人たちは良い行いはみな中国人がやったものと思うようになるだろう!」 しかし、銭さんのたゆまぬ努力も徒労に終わるだろう。なぜならばこのような子どもじみた簡単な手段は、日本人もとるだろうからだ。
一人の友人が私に言った。「仮に中国人か日本人かが悪事を働いてそれを意地でも認めないときには、不意に錐で彼を一刺ししてみればよい。大きい声で「アイヨ」と言えば、それは当然我々の同胞中国人だということになる。もし「ああ」とか「バカ」と叫んだとすれば、それは確実にお隣の住人である日本人だ」 私にはこれこそが、中日両国人及び韓国人のいずれであるかを識別することができると言い得る、終極的な方法であるように思えるのだ。(出典:翟華『国際公務員奇記』金城出版社2010年8月)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年8月30日