日本政界、「少壮派」の台頭と誤り

日本政界、「少壮派」の台頭と誤り。

タグ: 日本 少壮派

発信時間: 2010-11-09 15:14:29 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

「人民網」8日付け記事:日本の政界において、どの時代にも代表的な「少壮派」という人たちが居た。第二次世界大戦後の中曽根康弘氏と冷戦後の橋本龍太郎氏がともに少壮実力派議員として名を馳せていた時代があった。現代で活躍する少壮派は、第二次世界大戦後の1950年代の後期から1960年代に生まれ、日本の高度経済成長とともに育った人たちがほとんどである。そして、彼らは皆、小泉元首相が政権を握った時期に政治の表舞台に姿を現している。民主党では前原誠司外相、枝野幸男幹事長代理、原口一博前総務相、長島昭久前防衛政務官などが代表的な「少壮派」として挙げられるほか、自民党でも安倍晋三元首相、石破茂政調会長、石原伸晃幹事長などの人物が居る。

これらの人物は皆40代前半で政府や党の要職に就き、一様に内政と外交の大掛かりな改革を主張し、強硬姿勢を貫いている。彼らには今までの「少壮派」には無かった「団結意識」があり、権力を掌握し党の連合や政策協力などを行なった。

現代の「少壮派」は2種類に分けられる。一つは政治家の家に生まれた世襲型の「二世」、もう一つが自分の力で這い上がった者である。前者は自民党に多く、後者は民主党に多いが、その大多数が保守派政治家のゆりかごとも呼ばれる松下政経塾の出身者である。彼らの長所は、政策に精通しており言葉が巧みなことであり、短所は政治経験が浅く、揃って短気で自信過剰であり、しかも軽率だ。皆、心持は大きいが不器用な為に間違った判断をしたり、過ちを犯したりするのだ。

少壮派が大規模に跡を継ぐ形で慌しく政治の表舞台に出るのには2つの状況が直接的に関係している。まず自民党としては、政権から引きずり下された後、復活を遂げるためには、古い自民党を脱ぎ捨て一新する必要があった。次に、菅直人首相は選挙と執政の過程で、政権を握るまでの道のりを歩きやすくする為に民主党少壮派の「威光」を借りたのだ。しかし、もっとも大きな理由はと言うと、日本の衰退が新しい人、新しい政策への期待を招き、必要に迫られたのである。

少壮派の離合集散は日本の政局の変動と政界の再編の重要な要素であり、国家戦略や外交政策にも変動をもたらしている。民主党と自民党の少壮派は「平和憲法の見直し、海外派兵、集団自衛権の行使、武器輸出三原則の見直し」などを推進することに共通の認識を持っている。具体的な行動としては、新たな「防衛計画大網」を制定すること。日本は今正にその道を歩み始めようとしており、東アジアのバランスと安定に複雑な影響を及ぼすことになりそうだ。

対中政策について、いくつか警戒しなければならない点がある。彼らの中には「中国脅威論」を吹聴する者が居る。彼らはアメリカと連合して中国を抑え、多方面から中国をけん制し、特に軍事面の強化を主張している。また、少壮派の中には中国を中傷し、もともと中日間の国民感情の中でも脆弱な部分を壊せば、世間の空気を悪化させ、両国の基礎関係を壊すことにもなりかねない。少壮派は自分達が求める目先の「国家利益」に執拗に執着し、長い目で見た中日関係の為に政策を変えようともせず、衝突の可能性を増やしている。

民主党が政権を握る前のこと、中国の政治評論家たちは、中日関係は概ね良好で、更に関係を強化するべきだと考えるのと同時に、民主党内の少壮派が中日関係の発展を妨害するかもしれないと言う事も常々心配していた。その心配が現実になったのだ。もし、一部の少壮派が中国に敵意を抱き続ける姿勢を一歩も譲らず、誤った判断を下すのならば、両国が実質的に戦略パートナーになることは不可能に近い。少壮派が日本の政界で台頭した目的は日本の衰退を救い、国を難局から脱出させる為である。しかし、彼らの対中外交に対する向こう見ずで軽率極まりない態度を見ていると、彼らは一体、日本をどの方向に導こうとしているのだろうか、不安を感じずには居られない。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年11月9日

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