日本の新世代を分析:中国の日本人留学生

日本の新世代を分析:中国の日本人留学生。 統計によれば、高木君や山田君のような在中日本人留学生の数は1.6万人に達し、中国の外国人留学生の中では第2位となっている。毎日、各大学のキャンパスで、彼らの姿を見掛ける。彼らは日本国内の若者達と同様に中華料理が大好きで、衣食住の全てにおいて「Made in China」が欠かせない。だがしかし、彼らは日本国内の若者達と違い…

タグ: 友人 歴史 台湾 釣魚島 卒業 仕事

発信時間: 2010-11-10 14:55:01 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

釣魚島衝突事件が中日関係に暗い影を落としている。国民感情の悪化や感情論争が納まらない目下の状況は、北国の空のように寒々しく感じられる。

第二次世界大戦から既に60余年の歳月が過ぎ、現在、日本の20歳以上の若者達は戦後の第三世代にあたる。戦前と戦中そして戦後に生まれた第一世代と第二世代に比べると、考え方には質的な変化がある。彼らは何を考えているのか。中国との付き合い方をどう捉えているのか。歴史に対する認識はどうなのか。

近隣に住む者として、我々は日本の若者の生態を知れなければならない。そうしてこそ、正しく、冷静に、中日関係の将来を見ることができるのだ。(『国際先駆導報』より)

特殊な集団、中国の日本人留学生

「中日間では“友人”の定義が違う」と高木君

早稲田大学3年生の高木君は、今年9月から、北京大学で1年間の留学生活をスタートさせた。

北京に来て2カ月が経ち、高木君は教室や学生寮、学内や学外を含めて50人以上の中国人と知り合いになった。しかし、友人になれたのは僅か2、3人だけだ。「友人というのは一緒に遊んでいて楽しい人」というのが、友人に対する以前の高木君の定義だった。喜びは共にするが、苦しみも共にするとは限らない。高木君は、日本であろうと中国であろうと、そういう友人が当たり前だと考えていた。

しかし昨年、中国に短期留学した際に、彼の考え方が変わった。

資料写真

それは丁度、新中国成立60周年の建国記念の時期にあたり、高木君は中国人の友人と共に天安門に遊びに出掛けた。始めて見る天安門の美しさや人の多さに驚いて、写真を撮ったり、見物したりしているうちに、いつの間にか夜の11時を過ぎていた。

その日は交通規制が敷かれており、彼らは天安門に閉じ込められてしまった。「タクシーが全然捉まらない。でも、明日には飛行機で日本に帰らなければいけない」。高木君は少し焦っていたが、友人に助けを求めようとは思わなかった。「自分の問題は自分で解決する、他人に迷惑を掛けてはいけない」。幼い頃からずっと母親や教師達は、独立心や自立心を持つように、自分で責任をとるようにと、高木君に教え込んできた。

しかし、異国の地ではどうするのか。どう責任を負うというのか。

「行こう、タクシーが捉まるところまで少しブラブラ歩こうよ!」、中国人の友人は高木君を連れてさっさと歩き始めた。“ブラブラ”と言いながら、結局、王府井から後海まで歩いた。普通でも車で20分程の距離だが、何度も道に迷い、話しながら歩いていると、なんと4時間もかかった。

後海でやっとタクシーが捉まり、高木君は無事に学生寮に戻り、その日の飛行機に乗ることができた。

「日本人にはあんなことはできない。どんなに仲の良い友人でもきっと、『面倒くさいな、自分でどうにかしろよ。僕も忙しいんだよ』と言うだろう。僕自身もあんなことはできない。でも、中国では、友人のためならどんな大変なことでもするんだ」。高木君は中日間では友人の定義が異なると感じた。

勿論、中国人の友人との忘れ難い思い出といえば、全てが楽しいものばかりではなく、僅かながら複雑で苦い経験もあった。

「北京大学は安全だ」と山田君

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