64歳の松岡環氏
南京の人々がよく知る日本の友人、松岡環氏は中国侵略日本軍による南京太平門大虐殺の生存者探しのため、3月17日に再び南京を訪れる予定である。
『揚子晩報』(南京の新聞)の記者は6日、南京出身のボランティア翻訳者で、現在日本で教職に就いている黄女史を通じて、松岡氏が『揚子晩報』によって関連情報を収集し、日本軍が70年前に行った南京・太平門での虐殺に関わった生存者を見つけ出し、証言を得たいと考えていることを知った。
太平門での大虐殺 既に加害者が証言
今月17日に再び南京を訪れる松岡氏は、当時の日本軍による南京太平門大虐殺の生存者発見を切望している。
松岡氏は中国侵略日本軍兵士に対する調査論文の中で次のように指摘している。三重県北部に住む元中国侵略日本軍第六中隊の徳田一太郎氏は、事件発生日や当時の詳細をよく覚えており、はっきりした口調でそれを話すことができる。彼によれば、「午前8時、第六中隊は最初に太平門に到着、付近には多くの捕虜がおり、300~400名の老若男女が一気に集められた。工兵が、太平門を出た右側の一角に杭を打ち、金網を張り巡らせ、それらの中国人を中に入れ、地下には地雷が埋められていた。我々は捕らえた者たちをそこに集め、導火線を引っ張ると、ボンと地雷が爆発、後には山ほどの死体が残った。人数が多く、歩兵銃では追いつかないため、地雷を使ったのだと聞いた。それから、城壁に上り、上からガソリンを撒いて焼いた。多くの死体が積み重なった山は燃えるのにとても時間がかかった。上にいた者は殆どが死んだが、下の方にはまだ生きている者が多くいた。」