記者は数日、関東地方と東北大地震被災地を取材。日本に着いたその日、なんとも解せない光景を目にした。電力供給が深刻な打撃を受けたことから、首都圏では地域別に停電する応急措置を講じなければならなくなり、政府と電力会社は停電を予定する地域と時間を前日に発表。だが、一部地域では電気は停まらなかった。東京の住民やメディアは次々と「停電すると言っておきながら、なぜ停めなかったか。停電に備えていたのに、むしろ混乱させられた」と非難。政府は急いで「先に発表した計画停電は最悪の状況を想定したものであり、後に状況はそれほど悪くはなくなった。今後は計画の策定をより正確にする」と謝罪せざるを得なかった。その後の取材で、多くの日本人や日本で長く生活する中国人が日本社会の特徴について話してくれた。「日本の民衆は社会の管理者と公共サービスの提供者を極めて信頼しており、彼らが発した指示はほとんど実行されてきた。だからこそ、日本の民衆とメディアは政府や大企業のいかなるミスをも許さないのだ」
英誌エコノミストの前日本駐在記者のビル・エモット氏は「日本の問題では独自の慧眼を持つ人物」と評されている。日本経済が最も繁栄した80年代末、彼はバブルの崩壊を予言した。先ごろメディアの取材を受けた際、「社会的問題から見れば、日本人は一貫して国と企業に極めて強い信頼感を寄せてきた。第2次大戦に敗れたことで、その世代は団結したが、今回の災害ではそうはならないだろう。こうした『体制への信頼』が損なわれれば、その効果が5年を超えることはないからだ」と指摘している。
米紙ワシントンポストは「原子力危機の処理が徐々に収まるに伴い、日本の社会に新たに管首相の退陣を求める声が上がってきた」と報道。読売新聞は23日、地震発生後、管首相は談話を発表する以外、記者会見や国会の答弁など公の場に顔を出さなくなったと伝えた。米誌ディプロマティック・ポリシーは次のように指摘している。「管首相の危機処理に当たっての印象は、枝野官房長官ほどではなかった。様々な会見に終日追われている後者への印象は、日本政府の職責というものを人びとに感じさせ、枝野氏が首相になるべきだと言う人もいたほどだ。だが、枝野氏はテレビで被害状況を毎日報告する必要はないとの声も聞かれたが、これは技術的なことだ」。監督の北野武氏は「作業服を着ることに苦心した政治家に、実際の災害救援活動でどんな支援ができるのか。だれが被災地に入ったのか、だれも入っていないではないか」と厳しい。
ウォール・ストリート・ジャーナルは「日本の悲痛は憤りに変わるか」と題する論評を掲載した。「地震と津波から1週間余りが過ぎ、最初の驚きが徐々に静まるにつれ、人びとの関心は日本政府の災害への反応に移りはじめた。東京の危機処理能力は、最も基本的な生活必需品のない多くの被災者にとっては全く無力だった。日本政府の反応は日本の今後の数十年を左右するだろう。歴史的に、危機が発生した際、日本人は指導者に依存してきた。だが、不幸なのは、救援が最も緊急を要していた時の日本政府の対応が無力だったのを目にしたことで、市民の官僚に対する憤りはますます強まった。最大の危険は、日本の制度に対する信頼を失う可能性が非常に大きいことだ」
清華大学歴史学部副教授の劉暁峰氏は、今回の災害を機に日本社会はその官僚システムを再認識するだろうと話す。「災害発生後、表面的には日本政府の高官は非常に努力しているように見えた。だが、あれほど不満が多いのはなぜか。肥大かつ硬直化した官僚システムは、数人の努力で救い出せるものではない」と強調する。
「どの神話の背後にも、魔物の影が見える」。テレビ朝日は報道番組でこう論じた。「日本がこの大地震で失った神話は非常に多い。日本の原発の安全は世界一だという神話、日本の防潮堤は世界最高だという神話、日本の災害救援措置は最も完ぺきだという神話……。日本はこうした神話にごまかされ続けてきた。タイタニック号が沈没した時、多くの人が依然として沈没することはないと言ったように。神話を最も信じてきた日本人は、目を覚ますべきだ」
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年3月30日