「靠着山呀,没柴焼.十箇年頭,九年旱,一年澇.(山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は旱(ひでり)で、一年は洪水)」。山西省大同市に広く伝わるこの民謡は、中国北西部にある黄土高原の実像だ。この数千年で起こった戦乱、森林伐採、過剰な開墾・放牧などにより、黄土高原の植生は深刻に破壊され、土壌流失が加速し、どこも厚い黄土や深い溝ばかりで、山には木がなく、草もまばらで、地元の人々は非常に貧しい生活を送っている。
この環境が厳しく荒れ果てた場所で約20年間木を植え続け、自然環境を改善するとともに、中国農村地域の貧困撲滅や人員育成に役立つ事業を繰り広げているのが、「草の根緑化協力」に取り組む日本の非政府組織(NGO)「緑の地球ネットワーク」事務局長の高見邦雄さんだ。
▼思いがけない一連の試練に楽観的な姿勢
昼食にカップラーメンだけだった(3月26日)
高見さんの事績は実際に中国でよく知られている。1992年1月に中華全国青年連合会を通じて大同市輝源県で植樹し始め、2002年に日本国際協力機関(JICA)の緑化協力プロジェクトに参加して以来、国境を越えた愛を持ち、艱難辛苦を乗り越えた高見さんは多くのメディアから注目され、中日両国の政府やメディアが授与する「環境奨」や「友誼賞」、「国際交流奨」に数回選ばれた。そのため、3月26日、JICAが主催した「基層友好技術協力民間視察」プロジェクトに参加し、北京から約5時間バスに乗って大同市の霊丘県で高見さんに会ったとき、まったく疎遠感をおぼえなかった。
一番印象に残っているのは彼のユーモアさだ。翌日のスケジュールは山に登って環境林を見学することになっていた。中国各地からの環境NGOの会員や専門家、学者一行の十数人に注意事項を説明した時、「このところの山は風が非常に強い。かつて、風で私の帽子が飛ばされ、翌日日本にいる友達まで届いたこともある。皆さん自分の帽子に注意してください。もちろん、帽子より、頭のほうをもっと大切に保護しなければならないと思う」と話した。
風邪なのか疲れているのか、高見さんの声は少しかすれていた。通訳してもらった時に、「これからは小さい声で説明する。なぜかというと、神様はいつも小さい声で世界に命じるから」と高見さん。
折につけ見せたこのユーモアさは、高見さんの楽観的な性格を反映するものだろう。当然、これほど厳しい状況で一連の困難を乗り越えるには、楽観的な性格は欠くことができないだろう。
霊丘県は黄土高原にあり、雨が少なく乾燥した気候で、風が強く砂が多い。植樹した木を枯らさないようにするのは、容易なことではない。
それに、周知のように、山西省は昔の抗日戦争の主戦場で、中日両国が激戦した「平型関」も霊丘県に近い。戦後初めてここを訪れた日本人である高見さんは最初、現地の人々に理解してもらうどころか、敵視されたり「鬼子」と呼ばれたり、後ろから石を投げつけられたりし、まったく予想外のことが起きた。
しかし19年後の現在、高見さんは地元で有名になり、至るところで歓迎されるようになった。全過程で、彼は私たちに地元の地形や風土・人情、水資源の保護の緊迫性、「新農村建設」による現地の変化など、家宝を数え上げるかのように紹介し、まるでよそ者に自分の故郷を紹介しているようだった。
▼禿げた山に「植物園」と名づける