大江健三郎氏の「沖縄ノート」をめぐる訴訟は6年を経て、22日に大江氏および日本で最も人文伝統を備える出版界の要・岩波書店の勝訴が確定した。最高裁は太平洋戦争末期の沖縄戦における沖縄住民の集団自決に日本軍の関与があったことを認め、「沖縄ノート」の記述は他者の名誉を毀損していないとして、原告の上告を棄却する決定を出した。(陳言・北京市社会科学院文学所副研究員。人民日報系国際情報紙「環球時報」掲載)
「沖縄ノート」は琉球が日本に組み込まれた過程を論述し、沖縄戦の悲劇および沖縄人のたどった運命は近代化以来の日本の皇民化教育の結果であると指摘。さらに米軍基地としての沖縄および米国から施政権返還された沖縄県民は戦後の延長状態にあるとして、核時代の東アジア体制における沖縄の駒としての役割と捨て子としての運命を明らかにしている。再び戦争の国にならないよう、日本人に歴史の教訓を心に刻ませることがその狙いだ。同書およびそれをめぐる訴訟は深い意味を含み、本来幅広い社会的関心を引き起こしてしかるべきものだ。
だが日本の大手各紙は判決結果を普通のニュースとして扱い、画一的配信の形で報じるだけで、訴訟の焦点、判決確定後の原告、被告双方の反応およびその意義については、できるだけうやむやにしている。また、中国の主要メディアも「沖縄ノート」訴訟にほとんど注意を払っていないようだ。これは中国のメディアや学界が長年沖縄問題をおろそかにしてきたことと関係がある。多くの中国人にとって沖縄問題は日本の内政問題に過ぎず、中国とは無関係なものだ。こうした軽視は一方は故意、一方は無知によるものだ。
このためわれわれは「大江健三郎・岩波書店」沖縄訴訟の意義を探求する必要がある。