まず、今回の判決は日本の文部科学省が歴史教科書を審査する際の参照となり、沖縄問題を教科書に正しく記述させる上でプラスだ。しかし、4月初めに審査を通過した教科書は、依然として沖縄住民が日本軍に集団自決を強制された歴史を改竄している。原告も訴訟の目的は個人の名誉回復のみではなく、訴訟を1つの事件にして、教科書から「命令」「強制」などの表現を削除するよう促し、歴史教科書を改めることで、国民の歴史認識を再形成することにあると言明している。歴史教科書審査の問題と表裏の関係にあるものとして、日本軍の名誉回復、改憲、日米同盟は維持か改変かなどの問題もある。大江氏の勝訴は戦争責任を逃れ、戦争へ向かおうとする日本の企みを粉砕する上でプラスだが、訴訟から認識論の根本的な変革までには、まだ相当長い道程を要する。
次に、大江氏の勝訴は市民運動の発展をさらに促し、市民社会による戦争阻止の動きを促す上でプラスだ。「沖縄ノート」をめぐる訴訟の過程で大江氏は市民から広範な支持を得た。東京に「首都国会」、全国各地に様々な形式の支援連絡会が設けられた。日本の民衆はかつて侵略戦争を積極的に支持した。これは否定を許されない事実だ。だが彼らは集会や講演を通じて大江氏と連携し、関連知識や歴史認識を深めた。さらに重要なのは、勝訴によって沖縄問題が再び人々の前に示され、日本政府に米軍基地を調整、削減、廃止し、日米安保条約の下で沖縄が強いられてきた多大な犠牲を明確に指摘することを人々が切望していることだ。われわれは早くから注目していたことだが、日本メディアが大江氏の訴訟をないがしろにしている理由は、日本政府との間に「政府の方針に反する社会運動は一律報道しない、または控え目に報道する」との黙約があるからだ。こうした姿勢は日米安保条約関連の社会運動で特に顕著であり、その最たるものが沖縄報道だ。ここで覆い隠そうとしている問題は、日本政府は自らが米国の世界戦略遂行のアジアにおける道具であり、米軍基地に生活する沖縄人が臨戦態勢下でいつでも生命の危険に直面しうるとの事実を無視していることである。ここには歴史と未来の方向性に対する日本の認識の謎が秘められている。
大江氏の勝訴が確定したとはいえ、その明らかにした問題は未だ解決されていない。われわれが大江氏の新版「沖縄ノート」の登場を待ち望むのはこのためだ。
「人民網日本語版」2011年4月27日