小さな町が救援活動で果たした大きな役割

小さな町が救援活動で果たした大きな役割。 3月11日14時46分に大地震が発生し、その14分後には遠野市は救災体制に入った…

タグ: 遠野市,岩手県,地震,救援

発信時間: 2011-09-18 10:13:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

岩手県遠野市は「民話の里」という美しい異名を持っている。「市」といっても、市の中心に高層ビルなどは見られず、大きな村落のようなところだ。本田敏秋市長が、遠野市の人口は3万人弱、面積は826平方キロメートルと紹介してくれた。大震災の後、この小さな町は、当地も被災しながらも救災支援基地として大きな役割を果たした。

3月11日14時46分に大地震が発生し、その14分後には遠野市は救災体制に入った。本田敏秋市長は市役所前の広場にテントを立て、災害対策本部を設置した。同時に遠野市総合運動公園を救助ヘリのヘリポートとして開放し、市内に50か所の避難所を設けた。15時15分、市役所から全市民対して避難指示が出され、各地区に救援人員が派遣された。全市が停電、通信も遮断される中、遠野市は市内放送と非常用発電機を使って速やかに被災者を避難場所まで誘導した。市内の各病院は迅速に負傷者受入れの準備を整えた。

3月12日午前1時40分、遠野市から50㎞あまり離れた大槌町から被災者が助けを求めてやってきた。3時間後、緊急用の食糧、毛布、水、灯油を積み込んだ車が大槌町へ向け出発した。その後も遠野市は、釜石市など県内の被害の大きい地域に向けて次々に救援物資や人員を派遣した。

救援活動の間、遠野市は、救援に入った自衛隊や警察、消防や医療関係者、ボランティアなど250余りの団体に対し、市民活動センターなど144の施設を開放し、民間の宿泊施設も提供した。

遠野市が大震災後、このような迅速な対応ができた背景には、2007年に沿海地区防災支援基地構想を策定していたことがある。この構想をもとに十分な準備をし、何度も大規模な防災訓練を行っていたため、町の人々には防災意識が深く根付いていた。

遠野市は岩手県の東南部に位置し、内陸の町と沿海地区の町のどちらにも国道でつながっていて、救助ヘリはたったの15分でそれらの町に行くことができる。また、遠野市の地層は花崗岩に属し、自然災害に耐える力が比較的強い。これらの地理的条件、道路網、地質的特性から、遠野市は救災支援基地にふさわしいのだと本田市長が紹介してくれた。

大震災の発生後、遠野市では市民を中心としたボランティアが食べ物の用意と救援物資の仕分け、沿海地区への輸送を行った。遠野市の多くのボランティア団体が「遠野まごころネット」という組織を立ち上げ、日本各地からのボランティアを受け入れた。遠野まごころネットでは、避難所で被災者の情報を収集し、ボランティア派遣の調整や、ボランティアに必要な心得の指導などを行っている。

遠野市役所は「遠野災害ボランティア支援センター」を設立し、遠野市で活動するボランティアや遠野市を通過するボランティアに休憩場所を提供し、ボランティア団体の情報交換を助けている。

遠野市の経験は、大規模な自然災害が発生した際に被害の比較的少ない近隣の地域が大きな力を発揮することを示している。「遠野モデル」は日本全国の注目を集め、多くの主力メディアでその経験が紹介されている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年9月18日

 

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