中日民間大使となった日本への移民者・大久保洋子

中日民間大使となった日本への移民者・大久保洋子。 3月12日、日本大震災の翌日、東京へ向かう飛行機の中で、中国人記者の多くが大久保洋子という名の姉御肌の女性を知ることとなった。その後数日間、彼女は中国人記者達のために通訳を雇ったり、車を手配したり、記者達の宮城県被災地における取材の全日程に友人の田嶋勇氏を同行させたりと忙しく動き回り、記者達を感動させた…

タグ: ラーメン 地震 大久保洋子 素顔の日本

発信時間: 2011-10-01 10:26:42 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

自らの手で民間交流を促進

ラーメン店の経営を何年か続け、彼女には多くの友達ができた。その特別な立場で、彼女は両国の友好のためにもっと大きなことをしたいと考えるようになった。

2005年、当時の小泉首相が靖国神社に参拝し、両国の政府間交流は氷点に陥った。彼女は「政治に文化交流の邪魔をさせてはいけない」と、両国の文化交流のための非営利団体設立を決意する。

家族の支えもあり、2006年、彼女の「日中文化・経済交流機構」が非営利活動法人として正式に認可を受けた。彼女の4階建ての建物の1階部分がその本部となった。

そこには中日文化交流に熱意を持つ人々が10数名在籍している。「彼らはみんなボランティアで給料は無いの。」機構の主な活動は中日両国で書画、撮影、その他の文化交流展を開催したり、それぞれの文化人を相手国に招待し、お互いの違いを学んだり信頼を深めたりするものである。

2006年、「日中文化・経済交流機構」設立後の一大イベント「素顔の日本」美術展が東京等で開催され、中国文化界の高占祥、劉大為、馬未都、賀延光等も招待を受けて日本を訪問し、作品を出展した。

現在、彼女の展覧は中日民間交流の一大名物となっている。

「中日友好なんて言うと大げさに聞こえるけど、実際には小さなことの積み重ねだわ。異国に身を置いて初めて友好がどれほど重要なことか良く分かる。私も周りのみんなもそんな気持ちを抑えきれずにこの事業に身を捧げているのよ。」

彼女はまた、その息子に来年から中国の大学で中国語を学ばせ、将来的には彼女と同じように中日友好事業に尽力させるのだという。「昔からよく言うでしょ、後継ぎを育てることが大事だって。」

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年10月1日

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