もちろん、外交とかいった分野の場合は正確に政策面の見解を伝えるためにやはり専属の通訳を必要とすることはもちろんだが、民間の交流の場合、新しい試みがあってもよいのではないだろうか。
ちなみに、最近友人に、日本語を勉強している中国の大学生の日本語による作文を採点してもらえないかと依頼されてお手伝いしたが、現在の中国の大学生の日本語のレベルの高さ、表現力の豊かさ、知識の幅の広さに深い感銘を覚えた。ごく少数ではあるが、ジャーナリズムの世界に入ってもやっていけるような人もいたので、中国の対外開放の成果がこんなに早く顕在化したことに驚いている昨今である。そういうことで、これからは文化、スポーツとかいったソフトパワーに属する分野の交流には新しいやり方を試してみることも大いに考えられるのではないだろうか、と思っている。
最近、日本語を勉強している若者と触れ合う機会が増え、日本のアニメ、若者文化について一家言を持つ若者に接する機会も多く、私は時の流れというものを痛感しているが、中日両国の相互理解をさらに深めるためには、こうした新しい世代の参加を必要とする時期にさしかかっているのではないだろうか。そして、その際には、「文化の衝突」というものを上手に生かして、新しいものを生み出していく努力が必要であると考えている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年11月24日