老人の慈愛と満足に満ちた目を見て、横山さんは父親の傍に残って最後を看取る決心をさらに深める。こうしてまた十数年の時が流れた。十数年間、横山さんは誰にも自分の身の上について語らなかった。感謝の心で老人を世話し、老人の恩に報いた。老人は90歳まで幸せな温かい生活を送り、この世を去った。
父親を見送り、60歳を超えた横山さんも安心して「家に帰る」ことができた。1999年末、横山さんは本籍地の大阪に定住。日本に戻ってからも横山さんは中国の発展と変化に関心を寄せ、中日民間の文化交流に尽くし、数十人の留学生を支援した。
06年清明節前日、横山さん一家は中国に墓参りに戻った。節約して貯めた15万元を母校の裕禄中心学校に寄付。25台のパソコン購入、パソコンルームの設置にあてられ、山奥の子どもたちが外の世界に目を向けられるようにした。
08年の四川大地震をテレビで知ると、すぐに友人に電話して義捐金について訊ね、5000元を送った。
横山さんは70歳になったが、中国という彼が育った土地を忘れることはない。彼はできうる限りの事をしてきたが、それでもいつもしみじみとこう繰り返す。「私の養父、中国の故郷、故郷の人々が私に第二の命を与えてくれた。私のしていることはその恩に比べればたわいもないことだ。養父や中国の故郷への恩返しにすぎない」と。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年12月6日