愛の感動劇!一人の日本人の中国への恩返し

愛の感動劇!一人の日本人の中国への恩返し。 60年以上前、戦争が終わりを告げようとしていた時、日本人開拓団の孤児で、当時3歳だった横山三郎さん(中国名・王毓福)は吉林省長白山の雪の中に遺棄され、死に瀕していた。それを王希順さんが自らの生活苦も顧みず、命を助けて育てた。戦争で世の中は乱れており、王さんはすべてを捨て、横山さんを抱えて遠い故郷の山東省博山区北崮山村へ戻った…

タグ: 日本人 中国 戦争 開拓団 孤児 山東

発信時間: 2011-12-06 11:26:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

老人の慈愛と満足に満ちた目を見て、横山さんは父親の傍に残って最後を看取る決心をさらに深める。こうしてまた十数年の時が流れた。十数年間、横山さんは誰にも自分の身の上について語らなかった。感謝の心で老人を世話し、老人の恩に報いた。老人は90歳まで幸せな温かい生活を送り、この世を去った。

父親を見送り、60歳を超えた横山さんも安心して「家に帰る」ことができた。1999年末、横山さんは本籍地の大阪に定住。日本に戻ってからも横山さんは中国の発展と変化に関心を寄せ、中日民間の文化交流に尽くし、数十人の留学生を支援した。

06年清明節前日、横山さん一家は中国に墓参りに戻った。節約して貯めた15万元を母校の裕禄中心学校に寄付。25台のパソコン購入、パソコンルームの設置にあてられ、山奥の子どもたちが外の世界に目を向けられるようにした。

08年の四川大地震をテレビで知ると、すぐに友人に電話して義捐金について訊ね、5000元を送った。

横山さんは70歳になったが、中国という彼が育った土地を忘れることはない。彼はできうる限りの事をしてきたが、それでもいつもしみじみとこう繰り返す。「私の養父、中国の故郷、故郷の人々が私に第二の命を与えてくれた。私のしていることはその恩に比べればたわいもないことだ。養父や中国の故郷への恩返しにすぎない」と。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年12月6日

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