日本においても中国においても、数日に一度顔をあわせる仲間で、「日常的な飲食店交流」をすることは少なく有りませんが、日本ではさらに重要度を深めた交流として旅行・レジャー・観光などをするのはかなり仲が良い場合(または、企業等が組織的に慰安旅行などとして計画したもの)に限られると思います。ですから、「レジャー外部活動」については、日本ではとても親密な人間関係であると言えると思います。
そこそこに親密な人間関係において、日本でいまの季節の忘年会や新年会などで利用する飲食店は、いつも仕事帰りや学校帰りに行っているレストラン・居酒屋よりはちょっと良いところで、かといって旅行にいくほど全員の日程調整が必要なものではないというようなレベルです。日常的にいつも合うような仲間ではない、または日常いつも合うような仲間であっても季節の変わり目や特別なイベントとして、といった場合などがこの「中程度記念度」に当たることと思います。
ですから、この「中程度記念度」のときに、日本では「飲食店交流が殆ど」といって良いほどでしょう。一方これが中国ですと「飲食店交流」だけでなく、「スケート」「美術館・博物館参観」「歴史的建造物見学」「麻雀」「茶館での喫茶」といった非常に具体的な目的をもった交流イベントが入ってきます。この点がまさに僕が感じる違和感なのだと思いました。というのも、こうした「具体性」というのは、かなり個人的な趣味に影響されますし、親しい仲間で交流というよりも、何かレクリエーションの方向性が最初から限定されているような気がします。特定のレクリエーションが最初から存在して、そのイベント内でトークをするという人間交流が「メインの傍らの目的で」ついているというものです。
日本の場合の飲食店交流は、飲食店という、いわば誰でもが共通して持っている欲求としての「食べること」「美味しいもの」がテーマなだけであって、そこのメインとなる素材は、トークということができます。それほど、美食に執着の無い方であっても、「食べるという行為は日常作業」でありえます。
中川幸司さんのブログ「情熱的な羅針盤」