名古屋市長の河村たかしが先日、南京大虐殺の信憑性に公然と疑問を呈した。中国世論の批判と反駁を前にしてもなお、彼は発言の撤回を拒否している。河村たかしの所業は中国人民を憤慨させただけでなく、良知ある全ての人にあざ笑われている。
当時の日本軍による南京と中国での暴行は様々な証拠があるばかりか、中国侵略日本軍の総司令官だった岡村寧次もが書き留めている。
岡村寧次は1949年に帰国し、1966年に病死した。彼の残した日記、戦場の読書メモ、回想録は防衛庁防衛研究所の稲葉正夫戦史編修官が編集し、1970年に『岡村寧次大将資料』として原書房から刊行された。1981年には『岡村寧次回憶録』として中国語版が中華書局から刊行された。
いくつか記述を抜粋する。
「漢口到着後、所属部隊の風紀の乱れに気づいた。支那事変勃発後は残虐行為が度々発生しており、通常の訓示による制止は恐らくすでに何の役にも立たない」(第二編「漢口から南京へ」)
「華北、華中の戦場で、日本兵が昔日の『神兵』ではなく、略奪、強姦、放火が横行していることを知り痛嘆した」
「第十一軍司令官時、強姦暴行事件はしばしば起きた」(第三編「北京三年」)
「上海に上陸して、一、二日の間に、先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長萩原中佐等から軍紀について聴取したところによると、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある」