「1938年10月10日、廬山南側の星子兵站司令官友清大佐の報告によれば、同地の村長が連名で殺戮、強姦、放火、牛掠奪の四件を禁止すれば、日本軍の他の要求には全て応じるとの嘆願書を提出してきた。これを受けて憲兵を急派し調査させたところ、すでに強姦だけで二十件あったが犯人未検挙。たまに強姦現行の者を捕えても、その所属隊長は、犯人が歴戦功績者だとの口実で釈放を強請する。この口実は当時到る処で横行していた」(第四編「武漢攻略前後」)
1931年の「九一八」事変(柳条湖事件)後、岡村寧次は関東軍参謀副長、日本軍参謀本部情報部長、第二師団長を歴任。1937年に日本が中国への全面的な侵略戦争を発動すると、第十一軍司令官、北支那方面軍司令官、第六方面軍司令官、支那派遣軍総司令官を歴任した。上記の通り、彼ですら日本軍による「残虐行為が(中国で)度々発生」していたと認めているのだ。
それでも『大東亜戦争の総括』『「南京虐殺」の徹底検証』 『"南京虐殺"の虚構』といった類の本で歴史事実を否認する日本人が極めて少数だが常にいる。たとえば『大東亜戦争の総括』(展転社)は「南京大虐殺は捏造」「日本軍は人を殺していない」「20万南京市民は全て無事だった」「1942年から戦争終結までの南京勤務時代、虐殺に関する話は聞かなかった」などと主張。東中野修道著『「南京虐殺」の徹底検証』は「日本軍が民衆を虐殺したことを証明する史料は全くない」としている。
「人民網日本語版」2012年2月28日