日本は1991年に海外派兵に関する憲法上の制約を強引に突破し、自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣。翌年6月にはPKO法案を可決して、海外での国連平和維持活動(PKO)への自衛隊の参加を法的に認め、初のPKO部隊をカンボジアに派遣した。
1994年には「自衛隊法」を改正し、海外でのPKO任務その他軍事活動の遂行を自衛隊の重要な役割とし、1995年には「防衛計画の大綱」にも盛り込んだ。
1999年には「日米新ガイドライン法案」を可決し、米軍が日本「周辺」の軍事衝突に介入する際に米軍の海上捜索・救難の支援など後方支援目的の派兵を許可。両国は地域ミサイル防衛計画について共同研究を行うことでも合意した。憲法の定める「専守防衛」の国策は一歩一歩形骸化していった。
2001年10月には米同時多発テロの機を借りて「テロ対策特別措置法」を制定し、日本が軍事的役割を発揮する上での「地域」「行動」「国会」の3大制限を一挙に突破。米軍の行動に歩調を合わせ、自衛隊を遥かインド洋まで初めて派遣した。これは事実上、すでに「専守防衛」の範疇を超えており、形を変えた「集団的自衛権」の行使に等しい。
2003年末には「イラク復興支援特別措置法」に基づき、イラクに最初の部隊を派遣。その後日本政府は自衛隊のイラク駐留期限を2回延長。2005年12月には交替部隊500人が相次いでイラクへ向かった。
2008年には「海賊対策と護衛任務」の名目で軍艦をソマリア沖に派遣。このほか「米国のテロとの戦いの支援」を理由に、2002年から8年の長きにわたりインド洋で給油活動を行った。2010年にはジブチに初の軍事基地を建設した。
そして最近、日米両国は自衛隊と在日米軍がフィリピンの訓練施設を共同使用することや、米自治領・北マリアナ諸島テニアンに自衛隊の軍事基地を建設することについても協議に入った。