こうなると人々は疑問を禁じ得ない。「自衛軍」であろうと「国防軍」であろうと、本来自国の防衛を任務としているはずだ。だが日本の「軍隊」は遥か遠く離れた海外へと駆けつけている。一体どの国を守っているのだ?この疑問に答えるために着目できる点が2つある。
第1に、世界の「大国」になりたいとの日本の野心が高まるにつれて、自衛隊も狭い島国に留まることに甘んじなくなり、しきりに「国際社会への一層の貢献」を口実に「海外進出」の歩みを加速している。日本は経済的「ソフト・パワー」を顕示するだけでなく、今後は軍事的「ハード・パワー」も示そうとしている。この過程において自衛隊はいつまでも地位が未定の状態ではなく、予算の増額に加えて確かな地位を得ることを望んでいる。
第2に、米国は自らの経済力の下降に伴い、同盟国に一層の「責任」分担を求めるようになっている。アジアでは台頭を続ける中国の挑戦に対処するため、軍事力の配備に拍車をかけて、中国の海外進出の封鎖を点から網へと拡大。また、「中国脅威論」をしきりに煽り立て、離島作戦能力の強化を支援するとの理由で、日本を抱き込み反中、中国締めつけの鉄砲玉に仕立て上げようとしている。だから「軍創設」という日本の動きに対して見て見ぬふりをし、果ては故意に放任しているのだ。このことから、「自衛軍」と呼ぼうが「国防軍」と呼ぼうが、自衛隊はすでに米国のグローバル軍事戦略の1つの駒に完全に成り果てているのだということがわかる。
最後に、たちあがれ日本と自民党の憲法改正案に2つの共通点があることにも目を向ける必要がある。1つは軍創設、もう1つは天皇を国家元首とすることだ。これは20世紀初めに日本軍部が天皇の名を借りて戦争を発動したことを確実に想起させる。これらは中国を含む全てのアジアの国々の注意を引き起こすはずだ。
「人民網日本語版」2012年5月4日