日本の人々は中国経済の強大化が、歴史の発展の必然であるらしいということを明確に認識しているはずだ。小泉政権時代から現在の野田佳彦首相までずっと、多くの日本人が様々な場で「日本にとって中国の発展はチャンスだ」と述べてきたのを覚えている。
中国側も、中国経済の急速な発展の成果を他国が分かち合うことを希望すると対外的にしばしば表明している。
「友好」は感性の話だと言うのなら、感情があって初めて「友好」を語り、親しみを語り、問題に遭遇しても寛容になり、譲歩できることになる。それなら「友好」の「感情的基礎」がない、または「感情」的距離が不十分だが、互いに協力を現実的に必要としている場合、現実に向き合って「互恵とウィンウィン」を中日関係の現実的境界とすることができるのではないだろうか?
日本の横路孝弘衆院議長がかつてメディアに述べたように「近年、日本では貧富の格差が拡大し、失業率が上昇し、社会の不安定要素が増え、国民は政府への不満を強めている。こうした状況では民族主義感情が生じ、小さな外交問題の拡大を招きやすい。日中は相互信頼のメカニズムを構築し、両国首脳間と民間の相互理解、信頼を促進すべき」なのだ。
実際、中国がそうでないことがどうしてあろうか。(文:周冬霖・中日関係史学会理事、中日桜花文化交流センター主任)
「人民網日本語版」2012年5月25日