宮城県名取市閖上区で、現地の関係者は私たちに、津波が現地を襲った当時の状況を語ってくれた。関係者が、「自分の子供や両親が避難できず、津波に飲み込まれるのを目の当たりにした人が多くいる」と語ると、ガイドの黒崎豊子さんは中国語に翻訳するうちに、こらえ切れず泣いてしまった。外国人や記者としての身分で説明を聞いていた私も、こうして2008年に発生した四川大地震と同じ悲しみのムードに包まれた。私たちは災害を前にした日本人が見せる落ち着きと秩序に驚かされるが、彼らの悲しみは私たちがかつて経験した悲しみよりも少なくない。この地球上において、どのような言語を話し、どのような国籍を持っていようとも、苦しみを前にすると人類のすべてが同じ悲しみの涙を流すのだ。
訪日中、中日両国民の助け合いに関する話を耳にした。東日本大震災の発生当時、日本のメディアで記者の連絡員を担当していた2名の中国人留学生は、帰国せず被災地にとどまることを選択し、日本人の同僚と共に人生で最も苦しい時期を乗り切った。四川省大地震の発生後、宮城県松島町の日中友好協会は現地住民による募金活動を実施し、四川省彭州市葛仙山鎮中心小学校の再建を支援した。
グローバル化を背景とし、各国間の連携が緊密になっている。私たちが中国で日本製の自動車や家電を目にするのと同様、日本社会でも中国のモノを目にすることができる。街にあふれる漢字、レストランでウェイターとして働く中国人留学生、デパートで売られる「メイド・イン・チャイナ」等々。日本社会は完全ではないが、私たちが学ぶべきことも多い。私たちが自らの心の壁を取り払うことで、誤解が解消され、友好を継続することができる。中日国交正常化40周年の今年、調和的で活力に満ちたアジアが世界の東方にそびえ立つことを願う。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年8月8日