軽犯罪は警察が処理する。日本の警察の法執行はしっかりしており、当事者の態度がどうあろうと、良い姿勢で接し、暴力をふるうことはない。私情ははさまず、違法行為は必ず追及する。この意味において、日本人が規則を守るのも管理の結果なのだ。
国の法律に加え、地方も現地の実情に沿った規則を定めている。例えば東京都の「生活環境条例」は違法駐車、歩きたばこ、公共の場所での喫煙、指定された「路上禁煙地区」での喫煙をみな処罰の対象としている。しっかりとした法律、法規の規制があることから、ほとんどの日本人は規則や法律を遵守する良い習慣を身につけ、今日われわれの目に映るような「民度の高い」マナーある公民になったのだ。それ以来、膨大な「城管」隊員と不潔、無秩序、劣悪の張本人たちとの「遊撃戦」は不要となり、ごく少数のルールを守らない者を警察が法にのっとって管理・監督するだけでよくなり、都市管理も割合楽な仕事になったのだ。
実は不潔、無秩序、劣悪を「犯罪化」する都市管理モデルは決して日本だけではない。例えばシンガポールや欧米の多くの国では、暮らしにおける「悪習慣」を犯罪とすることが珍しくない。法律の威嚇力と拘束力によって都市を管理し、人々のモラルやマナーも高まったのだ。たとえばみだりにごみを棄てたり痰を吐く行為は、香港では罪を認めれば1500香港ドルの罰金となり、罪を認めなければ収監される。シンガポールでは200シンガポールドルの罰金となり、再犯の場合はさらに重い罰を科せられる。たとえば12時間収監されたうえ、「私はごみ箱です」と書かれた赤いベストを着て街頭清掃をしなければならないのだ。
こんな代償を支払ってまで、法律や規則を犯す者がいるだろうか?
「人民網日本語版」2012年8月24日