黒岩の調査報告発表後、「尖閣列島」との名称が徐々に広く採用されるようになった。だがここで注意が必要なのは、同呼称には「赤尾嶼(日本名・大正島)」(赤尾嶼はこの時まだ沖縄に編入されず、依然中国領だった)が含まれていなかったことだ。特に黒岩の「尖閣列島」は学者としての学術的命名に過ぎず、決して日本政府の命名ではない。その起源を遡れば、前出の英国人Edward Balcherに行き着くのである。中国にはこの英語起源の名称に対しても前出の「衆尖島」などの翻訳がある。日本政府がこの名称を正式に使用したのは実は1972年に日本外務省が発表した釣魚島問題に関する「基本見解」であり、しかもそれは「尖閣列島」ではなく「尖閣諸島」だった。日本外相が持ち出した北京地図出版社が1960年4月に出版した『世界地図冊』で使用されているのは「尖閣諸島」ではなく「尖閣群島」だ。中国は日本外務省が1972年に「尖閣諸島」を使用し始めて以降、類似の呼称は用いておらず、「釣魚島およびその付属島嶼」に統一した。
1972年以前の中国のごく一部の資料に「尖閣群島」との表記がある問題は、別に不思議なことではないと筆者は考える。根本的に言って、1つの訳語または学者間や民間でたまに使用された言葉は、政府の色彩を帯びていないからだ。もし中国のごく一部の地図が「尖閣群島」(注意:それでも日本外務省の使用するいわゆる『尖閣諸島』ではない)との一表記を使用したことをもって、釣魚島は日本に属すと中国が承認していたことを証明できると言うのなら、前出の黒岩は中国の名称の「釣魚嶼」「黄尾嶼」も使用したことがあるし、とりわけ1946年1月29日に日本外務省が米軍に提供した『西南諸島一覧表』には中国語の「赤尾嶼」「黄尾嶼」という名称が使用されているのだ。玄葉外相のロジックに従えば、日本も早くから釣魚島が中国に属することを承認していたことになる。さらにこの推理に従えば、「尖閣諸島」という言葉の起源は英語の「Pinnacle Is」だから、釣魚島は英国に属すべきなのか?「魚釣島」との呼称については、実は八重山の言葉で、元々中国語の「釣魚島」に由来する。馮勉駐長崎総領事の感謝状も日本が台湾を占拠していた期間に出されたもので、いかなる問題の説明にも全くなり得ない。一国の「外務大臣」は重大な問題において、まともな法的、歴史的根拠を示すべきであり、歴史的常識の無知のために国際的な笑いものになってはならないと筆者は考える。
「人民網日本語版」2012年10月22日