この参考資料を読んでみると、起草者は、釣魚島などの島嶼が琉球に属さないと明確に認識しており、戦後に日本領土を確定する際に台湾に組み込むべきかどうか検討するよう主張していることがわかる。例えば、この資料は、琉球の問題について、「北緯27度40分から30度までの各島が琉球に属するかどうかは、中国清朝の冊封使・張学礼が『使琉球記』の中で明記した琉球36島の範囲に基づき検討する必要がある」としている。これはつまり、36島以外の島は琉球に属さないということだ。ちなみに釣魚島とその付属島嶼も36島に属していない。
このほか、参考資料は八重山諸島を台湾に組み込むかについても検討が必要だとしている。これは日本の明治政府が1879年に琉球藩を廃し沖縄県を設置した際、中国からの反対を受けたことによる。日本は当時、沖縄本島を日本領とし宮古・八重山諸島を中国領とする案(分島改約案)を提示したが、中国政府はこれに賛成しなかった。中国政府は日本が琉球を全て支配することも認可しなかったが、これを是正する力も無く、さらにその後甲午戦争(日清戦争)が発生したことで、この件はうやむやになってしまった。このため、参考資料の起草者は、戦後に日本の領土を確定する際、宮古・八重山諸島を台湾に組み込むかについて検討すべきとの見方を示している。しかし、戦後は米国が単独で日本を占領し、沖縄を管理し、海峡両岸(中国大陸部と台湾地区)も分裂したため、この主張が実現することはなかった。
注目すべきは、起草者は尖閣諸島・赤尾嶼を台湾に組み込むかについても検討すべきと強調している点だ。これは当時中国が、これらの島は琉球36島にも、宮古・八重山諸島にも含まれないと認識していたことを意味する。でなければ、起草者は宮古・八重山諸島の他に単独でこの問題を書き記すことはないからだ。
資料中で使用されている「尖閣諸島」「尖頭諸島」などの呼称は、日本が台湾を植民統治していた時代の釣魚島の呼称であり、当時の人々に便宜を図ったためで、釣魚島が琉球又は日本に属すると中国政府が認めたわけではない。むしろその内容は逆であり、起草者は赤尾嶼を含む釣魚島が琉球に属さないとはっきり認識しており、戦後の日本領土確定の際に台湾に組み込み、中国に返還すべきと考えていることがわかる。
釣魚島が中国に属するという事実を揺るがすことはできないのだ。
「人民網日本語版」2013年1月5日