孫文と梅屋庄吉夫妻の銅像 長崎で除幕式

孫文と梅屋庄吉夫妻の銅像 長崎で除幕式。

タグ: 孫文 梅屋庄吉 長崎 除幕式

発信時間: 2013-03-26 12:58:16 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

中国民主革命の先駆者である孫文と長崎県で生まれた梅屋庄吉の友情は、中日友好交流史における美談と言える。梅屋庄吉は1868年に長崎市西浜町の裕福な家庭に生まれ、幼い頃より各地を巡り、幅広く社会に参与した。梅屋庄吉は16歳の年に単身で上海に向かい、上海で列強諸国の中国民衆に対する屈辱的行為を目の当たりにし、アジアの平和・弱者の援助・人類共和の理想を持った。1895年1月、孫文は梅屋庄吉と香港で出会った。梅屋庄吉は当時、香港で写真館を営んでいた。梅屋庄吉と孫文は天下について語り合い、話に花を咲かせた。二人は知己となり、梅屋庄吉は孫文に対して「あなたが挙兵すれば、財政支援する」と約束した。梅屋庄吉はその後、孫文が指導する革命闘争に資金援助した。史料によると、梅屋庄吉がその生涯で孫中山の革命に提供した資産総額は、現在の価値にして2兆円に達するという。また梅屋庄吉夫妻は、孫中山と宋慶齢の「仲人」であり、二人の結婚をとりまとめた。

孫文が逝去すると、梅屋庄吉は深く悲しんだ。孫文の偉大な業績を示すため、梅屋庄吉は孫文の4体の銅像を中国に寄贈した。80数年後の今日、辛亥革命の100周年を記念するため、中国側は返礼として孫文と梅屋庄吉夫妻の銅像を日本に寄贈することを決定した。三人の銅像の除幕式は2012年11月に執り行われる予定であったが、当時の日本政府が釣魚島(日本名:尖閣諸島)に対していわゆる「国有化」を実施し、中日関係を緊張に陥れたため、銅像の設置が先送りにされた。関係者の努力を受け、三人の銅像はついに美しい長崎港に設置された。フェリーに乗船し松が枝国際ターミナルを行き来する乗客、長崎現地の市民と各地の観光客は、この銅像を通じて当時の手に汗握る闘争の歴史を理解し、先人たちのアジア平和のために身を捧げた気概と志を偲び、孫文と梅屋庄吉の真摯な友情を感じ、両国人民の友好促進という重大な使命を引き継ぐことができる。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年3月26日

     1   2  


iphoneでもチャイナネット!

日本人フルタイムスタッフ募集    中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで
 

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。