中日民間友好、釣魚島により断絶されるべからず

中日民間友好、釣魚島により断絶されるべからず。 仕事の都合により、筆者は日本に対して一定の理解を持っており、30数年間の中日民間友好について意見を述べたいと思う。1980年代の中日の交流当初、日本人と政府は中国に友好的で、中日友好都市が次々と誕生した。調査によると、当時の国民の80%は、相手国に対して親近感を持っていた…

タグ: 釣魚島 民間交流 友好 親近感 右翼 衝突

発信時間: 2013-04-08 13:52:29 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

仕事の都合により、筆者は日本に対して一定の理解を持っており、30数年間の中日民間友好について意見を述べたいと思う。

1980年代の中日の交流当初、日本人と政府は中国に友好的で、中日友好都市が次々と誕生した。調査によると、当時の国民の80%は、相手国に対して親近感を持っていた。中国側を歓迎するイベントにおいて、日本の女性や児童は「我愛北京天安門」を歌っていた。

1990年代の両国関係も良好であった。1998年に合肥市で水害が発生した際、久留米市の若者が300万円の募金を送ってきた。中日両国には当然、利益の狙いがあった。日本は中国の豊富な資源、巨大な市場を見込んでいた。中国は、日本経済をモデルとしていた。欧米は当時、中国との交流を断絶していた。日本はまず中国への円借款やODAを回復し、技術輸出の規制も緩和的であったため、両国はたちまち同調した。

21世紀の初めの10年、日増しに力を増す中国を前にして、日本経済は低迷を続けた。政権交代が相次ぎ、右翼勢力が台頭し、靖国神社を参拝し南京大虐殺を否定し、釣魚島(日本名:尖閣諸島)を「国有化」した。中日関係は急速に悪化した。現在の日本人はナショナリズムや右翼的思想による影響を受け、中国に対して好感を持つ人が20%のみになった。筆者が2012年に訪日しイベントに参加した際、日本政府は表面的に歓迎を示したが、心からの言葉があまり聞かれなくなった。日本側の市長は、病気を口実にイベントに参加しなかった。

それならば、今の日本人はどのような人なのだろうか。筆者は、日本人は聡明で善良であると深く感じている。彼らは敗戦の教訓を持ち、戦争を望んでいない。中国に好感を持つ日本人が激減したからといって、日本人が中国との友好を望まないとは判断できない。これは一時的かつ表面的な現象に過ぎず、主流ではないからだ。

2010年に釣魚島沖における漁船衝突事件が発生した当時、筆者は代表団に加わり訪日した。多くの日本の友人が私に会うため駆けつけたが、その中には高齢者や病人もおり、感動させられた。彼らが中日友好の発展を願っていることは明らかだ。右翼の政治家は現在、多くの人(特に若者)を欺いているが、我々はこの人たちを説得するべきだ。交流と理解促進により、多くの問題がすらすらと解決されるだろう。中日民間友好交流は、釣魚島問題により断絶されるべきではない。(筆者:張治・合肥市対外経済貿易委員会元副主任)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年4月8日

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