「アジアが最も望まないのは危険なナショナリズムの新内閣だ」。日本の安倍晋三首相が昨年末に閣僚名簿を発表した際、エコノミスト誌はこのような評価を下した。そして今、歴史や憲法改正など一連の問題における安倍氏の一連の挑発的発言がこの指摘を裏付け、国際社会の懸念と警戒を引き起こしている。(文:辛聞・国際問題専門家人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
安倍氏は一体何を考えているのか?
米誌フォーリン・アフェアーズは安倍氏にインタビューした際、安倍氏は別々の2人の人間に見える時があると指摘。1人は保守的なナショナリストの安倍氏で、歴史教科書の改訂を支持し、「慰安婦」問題や極東国際軍事裁判の合法性に疑問を呈する。もう1人は実務的な安倍氏で、中韓両国との接触、協力を主張する。ここ数週間、この2人の安倍氏が世界の人々の面前に同時に現れた。国会答弁で第2次大戦中の日本の侵略行為について弁解したかと思えば、その1週間後には日本の行為が関係国に苦痛を与えたことを認めた。一体どちらが本当の安倍氏なのか。この2人の安倍氏の切り替えを人々はどう解釈すべきなのか。
「メディアは発言の一部を切り取って利用する」「『侵略』の定義を決めるのは私の仕事ではなく、歴史学者たちがすべきことだ」。安倍氏はこのように回答し、歴史について最終結論を下す重荷を学術問題と見なして、歴史学者に放り投げている。だが隣国および同盟国にとっては、歴史は昨日の教訓、今日の鑑であり、正しく向き合わねばならないものだ。一見揺れて定まらず、妄言を繰り返す安倍氏だが、当初から自らに対して明確な位置づけをしていたようだ。安倍氏はかつて「私は祖父の岸信介から政治的DNAをより多く受け継いでいる」と語った。
「昭和の妖怪」と称された岸信介は戦後の日本を形作った「超重要人物」だ。旧日本軍が満州国傀儡政権を樹立した後、岸信介は「中核的人物」として1936年に傀儡政権に派遣され、産業部次長や総務庁次長を歴任した。1941年、日本は太平洋戦争の宣戦詔書に署名した。1945年に日本が敗戦すると、岸はA級戦犯容疑で収監され、3年後に釈放された。釈放から10年後、かつての戦犯は首相に選出され、日本の半独立・半占領状態を憲法改正によって変えることに尽力した。「私は獄中で新憲法はだめだと思い、憲法改正論者になった」。彼の目標は一貫して明確だった。1978年に岸が死去すると朝日新聞は社説で「A級戦犯に名指しされた岸伸介が首相になったことに、これが日本人が戦争責任を明確に追及できない原因だと少なからぬ人が考えている」と指摘した。