日本人戦犯・城野宏の1955年1月の供述書によると、城野は1914年に日本の長崎市で生まれ、1938年に中国東北部での中国侵略戦争に参加し、1949年4月に捕虜となった。
城野が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1941年、中国の資源を略奪し、日本帝国に対する鉄などの軍事物資の供給を強化した。
1943年11月から1945年8月までは、「四回一千五百余人の機動兵力を派遣して日軍作戦に参加せしめ(中略)二個大隊を馳せしめて(中略)石炭、鉄の採掘収奪を援護し」、鉄約20万トン余りと食糧約15万トンを日本軍に供給した。
1946年から1949年までは、「私は五回の閻錫山の反人民作戦に参加し解放軍に抵抗し(中略)解放軍に対し二千数百名の損害と居民の生命財産に対し巨大な損害破壊を与えた」
1948年10月、「私は今村方策と共謀画策し第十総隊を太原東山戦闘に投入し解放軍に約一千余名の損害を与え太原の解放を妨碍した」。「私は解放軍陣地に落下する十数発のガス弾の炸裂を目撃した」(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月15日