日本人戦犯23人目・横山光彦の供述書公開 革命志士多数に死刑を宣告

日本人戦犯23人目・横山光彦の供述書公開 革命志士多数に死刑を宣告。

タグ: 日本人戦犯 横山光彦 供述書

発信時間: 2014-07-28 10:01:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本人戦犯・横山光彦の1954年7月の供述書によると、横山は1901年に日本の東京都で生まれ、1938年4月に中国東北部に赴いて中国戦略戦争に参加し偽満洲国奉天高等法院審判官に任じられた。1940年7月以降は、斉斉哈爾(チチハル)・錦州・哈爾濱(ハルビン)高等法院次長兼特別治安庭庭長などの職を務めた。1946年3月に捕虜となった。 

横山が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。 

1938年の夏から秋にかけて抗日救国者や平和住民約150人を逮捕し、そのうち「十二、三名死刑」の判決を下した。    

1942年12月には、「審判長」の身分で、共産党北満組織の「責任者王燿均、組織者史履隆、組長周善恩三名死刑」の判決を下した。 

1940年7月から1943年5月までは、「自ラ審判長トシテ処理シマシタ思想事件ハ、合計約八十九件、三百三十一名、其ノ内ニハ死刑十八名、無期徒刑十名モアリマス」 

1945年6月から7月までは、「審判長」として、捕虜となった東北抗日聯軍第「三路軍責任者革命志士于天放及其部下タル幹部革命志士孫国棟、同劉祥、同杜希剛、救国会責任者愛国人民張禄、同会員タル愛国人民六十余名」の審判を行い、「革命志士孫国棟、劉祥、杜希剛、張禄等約十名死刑」の判決をくだした。(編集MA) 

 

「人民網日本語版」2014年7月28日

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