(4)1774年、英国人サミュエル・ダン(Samuel Dunn)が作成した地図『中国分省図及び日本諸島』がロンドンで出版された。同地図中の釣魚島とその付属島嶼の名称は、中国閩南方言に基づいてラテンアルファベットで表記され、その所属が中国にあることを示している。
(5)1785年、日本・仙台出身の林子平が著した『三国通覧図説』の付属地図「琉球三省並三十六島之図」は、釣魚島とその付属島嶼が中国の領土であることを示す重要な日本側の史料と言える。同図はカラーで作成され、釣魚島と其の諸島が「三十六島」とは別にされ、中国大陸とまったく同じ色が着けられており、釣魚島とその付属島嶼が琉球王国ではなく中国領土の一部であることを明確に示している。
(6)1795年、J. Russellによって作成された地図『中国及びその藩属国』が出版された。この地図は着色されていないが、閩南方言に基づいてラテンアルファベットで表記された台湾東部海域の釣魚島とその付属島嶼の名称からは、これらが中国の諸島であり、その主権は中国にあることがわかる。
(7)1796年、欧州人が「最も権威的な資料に基づいて」作成した『中国分省図』が正式に出版された。作成者は台湾東部海域について、閩南方言に基づいてラテンアルファベットによって釣魚島とその付属島嶼の名称を記しており、釣魚島とその付属島嶼の主権が中国に属することを示している。
(8)1811年、英国の有名地図学者John Caryが作成した『中国新地図』が英国で出版された。同地図は、釣魚島とその付属島嶼を台湾や福建と同じ黄色で示し、閩南方言に基づいてラテンアルファベットによって諸島の名称を表記している。またその東側の久米島は緑色で示され、琉球語の発音で島の名称が表記され、西側の諸島と帰属関係が異なることが示されている。釣魚島とその付属島嶼が中国固有の領土であることは一目了然である。
(9)1830年、ドイツ人が作成した地図『オーストララシア』がアウクスブルクで出版された。この地図は縮尺が小さいため、「L. Ponkia」という表記によって釣魚島とその付属島嶼が示されているが、「Ponkia」とは閩南方言における「彭佳嶼」のラテンアルファベット表記であり、釣魚島とその付属島嶼の主権が中国に帰属することを示している。
(10)1842年、欧州人が「最新の測量とその他の権威ある資料に基づいて」作成した地図『中国及び近隣国家』が正式に出版された。地図上では、中国は黄色で示され、その他の国は赤色で示されている。台湾東部の一連の諸島は閩南方言に基づいてラテンアルファベットで表記され、釣魚島とその付属島嶼の主権が中国にあることが示されている。
(11)1863年、中国清王朝が作成した『大清一統輿図』(別名『皇朝中外一統輿図』)が刊行され、中国人が作成した緯度経度の付けられた最初の地図となった。この地図では、釣魚嶼と黄尾嶼、赤尾嶼はいずれも標準中国語で表記されているが、久米島は異なる言語で示され、その所属国が違うことがわかるようになっている。即ち、赤尾嶼から西の釣魚島とその付属島嶼は中国の領土であり、久米島は琉球の領土とされていた。
(12)1859年に米国で出版された『Colton's China』、1877年に英国海軍が作成した『中国東部沿海図:香港から遼東湾まで』はいずれも、釣魚島とその付属島嶼を中国の版図としている。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年8月1日