笹井芳樹氏(中)と小保方晴子(左)(資料写真)
だがSTAP事件の日本メディアの注目や報道はもはや、研究論文の不正や科学検証の過程を問題とするものではなくなっていた。科学の内容では読者や視聴者の目を引くことはできないと分かっているからだ。注目を集めるためにまず、理化学研究所が槍玉に上がり、国家一流の研究所であったはずの同研究所が、巨額の研究費を獲得するためには手段を選ばない研究組織として報道された。笹井副センター長と小保方氏の人材採用や研究支援をめぐる関係も、事実無根のエピソードで意味ありげに描かれた。次に笹井氏の大学時代の恋愛話にまで報道は及び、笹井氏の高校時代の同級生が当時の人柄や交友関係についてのインタビューを受けたりもした。小保方氏の採用過程や2人の触れ合いなどにも焦点が当てられ、「ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授をライバル視した野心家で、学生時代の失恋によって美人博士を寵愛・放任することとなった」という笹井像が作り上げられ、大衆週刊紙のほとんどが事件の報道を繰り返した。
科学研究の過程における成功や失敗には偶然の要素は排除できない。STAP現象が悪意の捏造だったのか偶然の現象だったのかはまだ科学的に結論付けられていない。理性的に考えれば、科学的な成果は実験の繰り返しによって実証する必要があるが、それには時間と静かな環境、平常心が必要となる。商品利益を追求する堕落した日本メディアの圧力の下、一般の庶民だけでなく、一流の科学機構である理化学研究所までもが、持つべき理性を失ってしまったのかもしれない。