責任を引き受けて初めて日本は「普通の国」になれる

責任を引き受けて初めて日本は「普通の国」になれる。 69年前の今日、日本の裕仁天皇は無条件降伏を宣言した。だが雑音混じりに放送された「終戦の詔書」に「降伏」の言葉はなかった。いまだに日本では「8月15日」の呼称は統一されていない…

タグ: 日本 普通の国 戦争 靖国

発信時間: 2014-08-15 14:13:54 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 中国にとっても日本にとっても、8月15日は重要な日だ。69年前の今日、日本の裕仁天皇は無条件降伏を宣言した。だが雑音混じりに放送された「終戦の詔書」に「降伏」の言葉はなかった。いまだに日本では「8月15日」の呼称は統一されていない。討論会ではしばしば「敗戦の日」と呼ばれ、政府やメディアでは「終戦の日」が通称だ。(文:曹鵬程・人民日報論説員) 

 今年の8月も日本では例年通り「戦争と平和」の話題に関心が集まっている。日本の学者でつくる「村山談話を継承し発展させる会」はこのほど「終戦の詔書」について、米英との交戦が「4年」になるとする一方で、中日戦争および日本によるアジアでの植民地支配と侵略の歴史には全く触れなかったと指摘した。同じ週に靖国神社はA級戦犯分祀の提案を拒絶し、第2次大戦を依然「自存自衛のため」と位置づけるとともに、首相、閣僚、さらには天皇の参拝を歓迎すると表明した。戦争は終結したが、平和再建という命題はずっと続いていると言える。 

 8月15日に日本の首相が靖国神社関連の行動を起こすかどうか、「全国戦没者追悼式」で侵略に触れるかどうか、メディアは諸説紛々だ。安倍晋三首相は休暇を取って富士山の麓の別荘でゴルフを楽しみ、地元の山口県でA級戦犯である祖父の岸信介の墓参りをしている。 

 アジア各国の人々がいつも分からないのは、なぜ日本は侵略戦争の位置づけについて長い間論争し続けながら共通認識を形成できないのか、なぜこんなにも多くの人々が大虐殺や慰安婦といった様々な戦争犯罪を公然と否定するのかということだ。8月の日本を注意深く観察すると、69年前の日本の降伏の意図が純粋なものではなく、戦争犯罪に対する追及が徹底的なものではなかったことが見てとれる。このため、軍国主義は形式上粉砕されたが、責任逃れの思想は種子を残し、今や右傾化の雑草が生い茂るにいたった。 

 「われわれは戦争が日本に与えた甚大な損害を忘れるわけにはいかない。従って今日、平和をかたく守る必要がある」。日本の政治家が強調し続けるこの言葉は一見間違っていないが、最も重要な問題を意識的または無意識的に覆い隠している。あの戦争は日本が発動した対外侵略戦争であり、侵略された国々に甚大な損害を与えたという点だ。対内的に戦争発動者の責任を清算できず、対外的に戦争加害者としての罪を常に認めることができないのに、どうして侵略が「平和」の名目のもと再び発生することはないと人々に信じさせられよう?

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