侵略戦争の真実を認め、戦争犯罪に対して反省を保つことは、第2次大戦後の平和の原点であるのみならず、それ以上に自民族の認識の分裂を避け、他民族との信頼を再構築するうえでの基礎だ。ニュルンベルク裁判後、ドイツは1990年代までナチスの犯罪者を追及し続け、捜査件数は10万件を超え、うち6000件余りで有罪判決を言い渡したが、日本はゼロだ。事実上、東京裁判は731部隊の人体実験、細菌・化学兵器の使用、「慰安婦」強制連行など大量の戦争犯罪を大目に見た。今にいたるも、日本では自国の犯罪者に対する裁判はゼロだ。一部の右翼は東京裁判の成果すら改竄、否定しようとしている。
1956年に日本政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言した。『戦後責任論』『靖国問題』などの著書がある東京大学の高橋哲哉教授はこれについて、忘却の政治宣言であり、現実を否認または直視しようとせず、戦争の記憶を封印したい企図が隠れているとの認識を示した。すでに第2次大戦終結から70年近くになり、いわゆる「もはや戦後ではない」からも60年近くになるが、「戦後」は終らないままだ。日本が責任逃れをするため、アジアさらには世界各地の被害者が次々に証言、追及に立ち上がっている。一方日本国内では、戦争経験者は分裂した認識の中で暮し、若者は隠蔽の中で成長し、主流と違う誤った歴史観に走ったり、いっそのこと歴史観を持たなかったりしている。
日本が急速に右傾化する今日、責任逃れをしては「戦後」は永遠に終らないということを、全ての人が明確に認識すべきだ。早急に責任を引き受け、歴史を直視して初めて、日本は「普通の国」に戻ることができる。「当時の日本軍がアジア諸国に戦火を広げ、その歴史を忘れるわけにはいかない。それを自虐史観と呼ぶのは愚かである。表面的な国の威信を気にして過去をごまかすのは、恥ずべきことだ。過去から教訓を正しく引き出してこそ、誇りある国だろう」との朝日新聞の社説の通りだ。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年8月15日