罪の記憶、赦しと平和の礎に―日本人戦犯45人の供述書の公表が終了

罪の記憶、赦しと平和の礎に―日本人戦犯45人の供述書の公表が終了。

タグ: 供述書 右翼勢力 平和 遺伝子

発信時間: 2014-08-18 10:02:34 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「一人の偉大な人物には、二つの心がある。一つの心からは血が流れ、一つの心は寛容を求める」ハリール・ジブラーンのこの詩は、日本の戦犯に感化し、彼らの罪を許した中国人に最もふさわしい。  

国家公文書局は8月16日、日本人戦犯45人の中国侵略の罪に関する供述書の公表を終えた。1956年に開かれた最高人民裁判所特別軍事法廷で、この両手を血で染めた強硬な軍国主義分子は、自ら罪を認めた。傍聴していた外国人記者は、「検察官と戦犯、被害者と戦犯、証人と裁判官と戦犯のそれぞれの立場は異なるが、誰もが口を揃え日本帝国主義の暴行を暴露した。これは国際裁判の歴史上、先例のないことだ」と述べた。  

45人の戦犯は罪を認めることにより、ヒューマニズムを取り戻した。島村三郎は『中国から帰還した戦犯』の中で、このように記述している。「罪を悔い始めてから、私が待っていたこの日がついに訪れた。私は裁判所が死刑により、私の人生に終止符を打つことを願った」裁判のあった日は猛暑日で、島村は全身汗まみれになっていたが、表情は厳かで恭しく、手で汗を拭うことはなかった。供述の際に、彼は急に両膝を地面につけ、泣き声でこう言った。「私は当時鬼になり、多くの善良な女子供を殺害したが、一滴も涙をこぼさなかった……」  

外国人記者が目にした「史上先例のない出来事」の裏には、新中国の日本人戦犯を更生させようとする努力があった。歴史資料をめくると、数えきれない些細な点から、この取り組みの苦しさと偉大さを実感することができる。「撫順戦犯管理所に着いたばかりの戦犯たちは、自分が罪を犯したとは考えていなかった。自分が捕虜でなくなったことを知ると、脱走を試み大騒ぎをした。管理所の科長は戦犯とともに故郷に思いを馳せ、戦争が個人にもたらした災いについて、深夜まで語り合った。家族と国の恨みを持つ関係者らは、悲痛を忍びながら彼らに米や魚・肉を与え、自分は帰宅後に大根をかじった。骨折した戦犯は、やせ細った中国人の医者に背負われ階段を上り、涙を流し中国人に懺悔・謝罪した……(中略)……真相の復元、正義の感化、ヒューマニズムのぬくもりが、鬼を人に変えたのだ」

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