日本が日増しに右傾化し、軍国主義の復活を急ぎ、米国にすがりつき中国対抗に全力を注ぐ中、「中日関係はこの溝を越えなければならない。それができなければ、中国は最大の損失を被る。ある歴史的段階に逆戻りするかもしれない」というショッキングな意見があがっている。しかし現状は、本当にその通りなのだろうか?筆者はこの不安を煽る説に同意できない。
筆者の観点はこうだ。中日の経済面での競争が強まるほど、相互補完性が下がる。ゆえに中日の経済交流が減れば、中国にとって有利である。しかし文化面では、これとは正反対のことになる。
1980年代に、中国は独自の産業体制を形成した。日本の産業化は中国より早く、その産業体制は戦前に形成された。こうして、中国経済と日本経済の同質化という問題が生じた。中国は整った産業体制を持つが、日本も持っている。中国は科学技術の開発を行っているが、日本も取り組んでいる。中国製品は海外に輸出されているが、日本製品も輸出されている。中国は資源の輸入を必要としているが、日本も必要としている。同じような二つの経済体制があれば、必然的に競争が生じる。
しかしこの競争は、1990年代以前にはそれほど激しくなかった。当時の中国製品の品質は、日本との間に大きな開きがあり、ランクが違っていた。両国の製品は、異なる国、異なるレベルの消費者の需要を満たした。中国は当時、資源をほぼ自給することができ、日本との競争は生じなかった。しかし90年代以降、状況に大きな変化が生じた。中国製品は規模を拡大し、質を高め、日本製品より割安になった。こうして競争が激化した。両国は、科学技術の開発、製品の製造、国際市場および海外の資源の争奪で、全面的な競争を展開した。日本は競争の中、劣勢に立たされるようになった。これは日本と中国の対立が激化した、根本的な原因だ。
それでは、中日の経済関係には相互補完性がないのだろうか?これは技術面にある。日本は多くの分野の技術水準で、依然として中国を上回っている。しかし日本は中国に対して最も厳しい技術封鎖を実施しており、技術の相互補完性が実現されていない。ゆえに両国の経済関係に残されたのは、競争性のみとなっている。