「私たち日本人がした悪事は非常に恐ろしいこと。本当に中国人に申し訳ない」。ハルビン市社会科学院731問題国際研究センターはこのほど、731部隊の元隊員の鈴木進氏の証言を公表した。
この証言は、中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館の金成民館長が2000年と2001年に日本に行き鈴木進氏から得たものである。中国侵略日本軍第731部隊は日本軍国主義者が第二次世界大戦中に命令を下して極秘で作った細菌戦部隊の一つである。1932年にハルビンに研究センターを設立し、数千人の中国、ソ連、朝鮮、モンゴルの捕虜と中国の庶民の人体で細菌と毒ガスの実験を行なった。
鈴木進氏は1920年に生まれ、1938年に中国侵略日本軍第731部隊本部の運転手になり、1945年に日本に逃げ帰った。731部隊にいた期間、彼は毎週1回以上731部隊本部からハルビンの憲兵隊に人体実験に使うための「犯人」を取りに行った。以下は鈴木進氏の証言の一部である。
私は1937年3月からハルビンに8年間滞在した。最初に731部隊に行ったとき、四方楼(細菌実験室・特設監獄、731遺跡の中心エリア)はまだ骨組みを造り始めたばかりだった。多くの中国人労働者が作業していた。その中の7号棟と8号棟は非常に重要な場所だったため、鈴木という名前の日本人が造り、中国人は入ることが許されなかった。
敗戦の最後のとき、実験に使われた人たちはみな毒ガスで死んだ。80人以上いた。彼らの遺体は7号棟と8号棟の間の空き地で燃やされ、3日かかってようやく燃やし終えた。燃やした後の残骸は私の車に乗せ、松花江に捨てられた。燃やした後だったため、少ししか残っていなかった。松花江の鉄橋の下に捨てたことを覚えている。私が捨てたのではない。当時自分は遺体を車で運ぶだけの担当だった。
私は自分の目でソ連の女の子が毒ガスで死ぬのを見た。監獄に入ったとき、この子はまだ小さくてかわいかったが、最後は毒ガスで死んだ。このことは印象深く覚えており、毎日寝るときに幽霊のように頭に浮かんでくる。仕方なく、私は大きな観音像を作り、毎日拝むようにした。しかし、心にまだ恐怖が残っており、ここで話して少し楽になった。
私たち日本人がした悪事は非常に恐ろしいことである。敗戦のとき、東条英機というやつは国の罪人だったのに神社に祭られた。これはどういうことだ。あいつは軍人で、本当に中国人に申し訳ないことをした。本当に申し訳ない。
中国人に感謝したい。敗戦して撤退する日、妻がちょうど分娩のときで、中国の友人に助けてもらった。私は現在子供たちに書道を教えており、中日両国の共催で書道展を行なったとき、私と妻は中国に行き、中国の高官にもてなしてもらった。
数十年この話をできずにいた。731部隊のことなど口にできなかった。ここであなたたちの前で話せて、気持ちがだいぶ楽になった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年9月9日