抗日戦争勃発後、国内のある新聞は次のように評している。「歴史的に見れば、日本軍閥のアジア大陸に対する野心は一朝一夕のものではない。東北を併合し、華北を占領し、中国を飲み込むことは、敵国の数十年にわたる国策である」
王建学氏によると、日本軍による「九一八事変」の発動は中国侵略であると同時に、それまでの国際関係を打破し、多国の権益を損なうものだった。だが当時は宥和政策が優勢で、ファシスト国家の侵略拡大の野心を止めることができなかった。太平洋戦争を発動するまでに、日本はすでに「放たれた矢」と化していた。
「『九一八』を今から振り返ると、当時の日本の侵略を甘く見ていた西側国家は、その結果を自分で被ることとなった」と、遼寧社会科学院歴史研究所東北陥落史研究室の張潔室長は指摘する。「全世界はそこから教訓を汲み取らなければならない」
日本軍は1941年に米国の真珠湾を奇襲し、英国の植民地であった香港に侵入した。東南アジアの戦場では、日本軍は数千人の同盟軍兵士を捕虜とし、「九一八事変」の勃発地である瀋陽で強制労働にあたらせた。
どんなに巨大な変化も人間の正道を覆すことはできない。正義を欠いた日本の行動は、世界の反ファシスト同盟の下に倒れることとなった。
第2次世界大戦の終結から70年近くが経った。学者の一部は、右傾化を強める日本の動きに世界は警戒すべきだと呼びかけている。「九一八事変」の国際的な性質を理性的に認識し根底から明らかにすることは、歴史のつながりの中に日本の現在の政策を置くことを可能とし、世界平和の維持にとって大きな現実的な意義を持つ。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年9月18日